つい先月のことだが、ミュンヘンオリンピック2階級制覇のウィレム・ルスカ氏が亡くなったとの報道
があった。時々ネットで見る「史上最強の柔道家は誰か」というテーマで必ず上がってくるビッグ
ネームの一人になっている。古くは木村政彦、戦後ではアントン・へーシンク、山下泰裕らと並び
この4人のうちの誰かがということになっている。小学校から高校まで柔道に打ち込んだ時期が
あって、誰かなあと考えることがある。ネット上の意見は専門家を含めてへーシンクと山下が甲乙
つけがたく同率1位で、僅差でルスカ氏というものが目についた。しかし本当だろうかと思うこともある。
そこで色々見聞きしたことなんかを思い出してみることにした。
ただし、1回で書きおおせることではないと思うし、、自分の見聞きした体験見聞も順不同に書いて
いくので気長に読んでほしい。ただしすべて事実の裏付けがあることにする。また得意の英語力を
駆使して日本語では表記されていない、あるいは日本では知られていないことも書いてみるから、
他にはない話しになるかもしれない。往々にしてテーマから脱線するかもしれないが。
ずいぶん前に全日本選手権を見に行ったとき間違って貴賓席に座ってしまったことがあり、となり
にいた異常に脛が長く頑丈で立つと周囲を圧するほどの巨人だったのがへーシンクさんだった。
メガネをかけていた。まじめそうないいおじさんだった。大きな外国人が何人かいたが、へーシンク
さんより大きいのは身長200cm体重128kgの世界選手権で3位になったことのあるコバセビッチ
選手だけだった。
2人とも場外の廊下にあった売店で、他の外国人たちに混じりながら飲み物か何か買っていた。
面識はなかったようで談笑する姿はなかった。周囲の普通の?外国人達とは明らかにサイズの
クラスが違っていてさすがだなあと思わずにはいられなかった。コバセビッチは、当時世界クラス
の選手になっていたが、なぜかしばらく大きな試合に出ていなかった記憶がある。
からかい好きで、私のように?紛れ込んできた小さな日本人の子どもが紅毛碧眼の大男達を
見て、大目を開けてフリーズしてしまっているのを見て、Is he your father ?とか言ってからかって
いた。するとやはり貴賓席にすわってコバセビッチに手で示された黒い髭ずらの男が、My son is
not so much dirty,not so much!とか言って周囲の笑いを誘っていた。
ちょっと腹が立ったが、英語はわからないふりをしてそのままにしておいた。少なくともそこにいる
のはならずものではなく柔道で名をなした名外国人選手ばかりだったし、場違いなのは自分なのだ
から。ある程度そこで見て準決勝か決勝前の休憩時間に移動した。今なら係員にすぐにどかされる
だろうが、なぜかそんなことも起こらなかった。
それにしてもへーシンクやコバセビッチの人間離れした巨体には驚かずにはいられなかった。特に
となりで見たへーシンクは、こりゃあ猿が違う、と思った。これでは勝てる日本人はいなかっただろう
、それが実感だった。
ヘーシンクのトレーニング:
左から故へーシンク氏、故岩釣師範、故ルスカ氏、佐藤師範
右半身写っている巨人は、おそらく故ピーター・アデラ-さんかな。
休日の トレーニング中の故へーシンクさん
左が、故コバセビッチ選手、Wikiには193cm,100kgとか書かれているが
そんなわけない。18歳の時、日本の道場に留学に来ていて、当時198cm
のすごいでかい外人の柔道やってるやつがいると評判だった。
半世代違うので遭遇したことはなかったが乱取り練習などをした先輩から良く
うわさを聞いた。当時から茶目っ気たっぷりで、日本人のGFの写真を館長から
捨てるように言われて捨てるまねしてごまかしていたと聞いた。
後記
しかしそれにしてもへーシンクもルスカもコバセビッチももう本当にこの世を去ってしまったのか。
あんな強靱な男達がと思う。あの日、紛れもなくとなりにいた巨人アントニウス・へーシンク、
茶目っ気のラドミール・コバセビッチ、ちょっと前のことのような気がするのに。
そう言えばあの時、コバセビッチ選手が誰かから「これからどうするの?」とか日本語で聞かれて、
「私は、国に帰って兵隊になります。」って言っていたなあ。
があった。時々ネットで見る「史上最強の柔道家は誰か」というテーマで必ず上がってくるビッグ
ネームの一人になっている。古くは木村政彦、戦後ではアントン・へーシンク、山下泰裕らと並び
この4人のうちの誰かがということになっている。小学校から高校まで柔道に打ち込んだ時期が
あって、誰かなあと考えることがある。ネット上の意見は専門家を含めてへーシンクと山下が甲乙
つけがたく同率1位で、僅差でルスカ氏というものが目についた。しかし本当だろうかと思うこともある。
そこで色々見聞きしたことなんかを思い出してみることにした。
ただし、1回で書きおおせることではないと思うし、、自分の見聞きした体験見聞も順不同に書いて
いくので気長に読んでほしい。ただしすべて事実の裏付けがあることにする。また得意の英語力を
駆使して日本語では表記されていない、あるいは日本では知られていないことも書いてみるから、
他にはない話しになるかもしれない。往々にしてテーマから脱線するかもしれないが。
ずいぶん前に全日本選手権を見に行ったとき間違って貴賓席に座ってしまったことがあり、となり
にいた異常に脛が長く頑丈で立つと周囲を圧するほどの巨人だったのがへーシンクさんだった。
メガネをかけていた。まじめそうないいおじさんだった。大きな外国人が何人かいたが、へーシンク
さんより大きいのは身長200cm体重128kgの世界選手権で3位になったことのあるコバセビッチ
選手だけだった。
2人とも場外の廊下にあった売店で、他の外国人たちに混じりながら飲み物か何か買っていた。
面識はなかったようで談笑する姿はなかった。周囲の普通の?外国人達とは明らかにサイズの
クラスが違っていてさすがだなあと思わずにはいられなかった。コバセビッチは、当時世界クラス
の選手になっていたが、なぜかしばらく大きな試合に出ていなかった記憶がある。
からかい好きで、私のように?紛れ込んできた小さな日本人の子どもが紅毛碧眼の大男達を
見て、大目を開けてフリーズしてしまっているのを見て、Is he your father ?とか言ってからかって
いた。するとやはり貴賓席にすわってコバセビッチに手で示された黒い髭ずらの男が、My son is
not so much dirty,not so much!とか言って周囲の笑いを誘っていた。
ちょっと腹が立ったが、英語はわからないふりをしてそのままにしておいた。少なくともそこにいる
のはならずものではなく柔道で名をなした名外国人選手ばかりだったし、場違いなのは自分なのだ
から。ある程度そこで見て準決勝か決勝前の休憩時間に移動した。今なら係員にすぐにどかされる
だろうが、なぜかそんなことも起こらなかった。
それにしてもへーシンクやコバセビッチの人間離れした巨体には驚かずにはいられなかった。特に
となりで見たへーシンクは、こりゃあ猿が違う、と思った。これでは勝てる日本人はいなかっただろう
、それが実感だった。
ヘーシンクのトレーニング:
ランニング(インターバル、心肺能力)、自転車(脚力)、
フットボール(反射運動、足関節)
バーベル(ハイクリーンでパワー強化、左右に振って崩しへの耐久力)、
ダンベル、エキスパンダー(基礎体力、引き手強化)、
鉄棒に顎を掛けての首の強化、レスリング、水泳・・・
フットボール(反射運動、足関節)
バーベル(ハイクリーンでパワー強化、左右に振って崩しへの耐久力)、
ダンベル、エキスパンダー(基礎体力、引き手強化)、
鉄棒に顎を掛けての首の強化、レスリング、水泳・・・
以上、あなたの道場♪「あこう堂」日記より引用
左から故へーシンク氏、故岩釣師範、故ルスカ氏、佐藤師範
右半身写っている巨人は、おそらく故ピーター・アデラ-さんかな。
休日の トレーニング中の故へーシンクさん
左が、故コバセビッチ選手、Wikiには193cm,100kgとか書かれているが
そんなわけない。18歳の時、日本の道場に留学に来ていて、当時198cm
のすごいでかい外人の柔道やってるやつがいると評判だった。
半世代違うので遭遇したことはなかったが乱取り練習などをした先輩から良く
うわさを聞いた。当時から茶目っ気たっぷりで、日本人のGFの写真を館長から
捨てるように言われて捨てるまねしてごまかしていたと聞いた。
後記
しかしそれにしてもへーシンクもルスカもコバセビッチももう本当にこの世を去ってしまったのか。
あんな強靱な男達がと思う。あの日、紛れもなくとなりにいた巨人アントニウス・へーシンク、
茶目っ気のラドミール・コバセビッチ、ちょっと前のことのような気がするのに。
そう言えばあの時、コバセビッチ選手が誰かから「これからどうするの?」とか日本語で聞かれて、
「私は、国に帰って兵隊になります。」って言っていたなあ。
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