2009年10月21日水曜日

ターボ車は、嫌いですか?(その2)

 前回、先の大戦では、米国の日本の戦闘機ではターボチャージャーが、採用されなかったとしたが、
自動車工学の歴史という上下巻の専門誌を読んでいたら、米国ではP38LとP41Dに採用したとのこと
だった。いずれも陸軍の戦闘機でロッキード社製になる。P38は、双胴の悪魔と言われ、大戦初期唯一
日本の戦闘機に立ち向かえた機種で、別名“ライトニング”。山本長官座乗の一式陸攻を待ち伏せ攻撃
をかけてしとめた機種でもある。また、米国での大戦時のナンバー1エース(撃墜王)ボング少佐、ナンバ
ー2エースマクガイア少佐の乗機でもあった。P41というのは、よくわからない。
 いずれにせよ一撃離脱戦術やロッテ戦法を駆使して戦った戦闘機だから、ターボエンジンでも問題なか
ったのだろうか。日本軍機得意のドッグファイトにも十分立ち向かえるとされたF6FやP51では、ついに
ターボエンジンは採用されなかった。そして、ついにレシプロエンジンの一線級の戦闘機では、スーパー
チャージャー方式が最後まで主流の座を占めた経緯になる。

 米国爆撃機で採用されたターボチャージャーは、自動車では1938年にスイスのメーカーの発明により
登場したというのが歴史上の嚆矢らしい。それでも、普及するのは戦後で、かなり早く60年代に手をつけ
た米国ではどういうわけか広まらず、70年代の国際レースシーンでの活躍により徐々に、欧州、日本
と広まることとなった。おそらく大半の人が、BMW2002ターボが、市販車のターボ第1号だと思って
いるのではないだろうか。

 日本でも1980年前後から、まず日産からターボ車がリリースされ、羨望のまなざしで見られていたのを
よくおぼえている。当時は、今とちがって3ナンバー車なんか乗っている人なんかひとにぎりだったし、
税金も確か3リッターで今の6リッタークラスと同じだったと記憶している。6リッターオーバーは、なんと
150,000円だった。バカバカしいたらありゃしない。そのバカバカしい車に乗っていたのだけど・・・・・
 当時、この不公平感を高級官僚になった先輩や大学の先生などいわゆる知識人達に、どう思うか聞
いてみたのだが、だいたいは日本の道路は狭いのだから、そんな大きな車を運転するなら、いたって
当然というような感想だった。なんて日本人は、馬鹿というか、官僚的というか、アホというか、ものの見方
が浅薄なのかと思ったものだ。もっとも、その感慨はそれほど今でも変わっていないけど、そのころよりは
多少ましになったかなという気がしないでもない。
 大体、2リッター5ナンバー枠34,500円と6リッターオーバー150,000円の差額になんの根拠があ
るというのか。実に4倍以上である!
 その後、80年代外圧(米国から)で自動車税は、現在のように細分化され低減されて今日にいたって
いるが、いまだに111,000円でもある。一時期、この超高額の自動車税をかわすため、広報宣伝車
やキャンピング仕様での登録が流行して、自動車税2~3万円前後の8ナンバー車がアメ車で広まった
ことがある。しかし、この8ナンバー登録偽装は、あまりにも増大したため当局に目をつけられ、ついには
警察に御用となった。もっとも御用となったのは、ユーザーではなく販売業者だったので、あまり世間
一般には知られなかったが、業界人なら誰でも知っていると聞いたことがある。事実、米国大型車を
扱っていた業者で8ナン登録をやったところは、社長ら代表者、工場責任者、が多数しょっぴかれて、
塀の向こうに行かされた人がそこらじゅうにいるらしい。

 私に言わせれば、そもそも自動車税の設定のしかたが駄目なのである。大排気量車に異常に高い
自動車税を設定し、さらに暫定割増税率をずっ適用した重量税を放置している行政組織に批判の目が
向かなかったというか、一蓮托生だった政治に大いに問題があったのだ。

 だいたい軽自動車と大排気量では、走る道が違うとでも言うのだろうか?大排気量が走れば、小排気
量車は、どいてくれるのか?さんざん、大排気量に乗ってきたけど、高速道路以外では、税負荷の分の
メリットなどまったく無いに等しいと感じている。

 こういう日本のバカな状況で、ではどうしたら自動車税をおさえて、パワーにゆとりのある車に乗れるの
かということになる。ターボだ。まちがいなくターボである。これしかない。それは、言いすぎか?いや、
極論すれば、ターボにいきつく。いくら、優秀なNAだって、それなりのパワーを出すには、4リッターは
必要だ。それを5ナンバーにいくらか盛った程度の自動車税で補えて、しかも大排気量なみのクルーズ
ドライブが可能なためには、ターボに限る!
 当初、それは排気ガス規制でパワーダウンしたエンジンがパワーを取り戻す手段にもなった。ただし、
なぜか、それを言うのはタブーであり、メーカーの広告は、省燃費!だった。驚くのは、80年型ファイ
ヤーバードトランザム301CID(4.9リッター)ターボのキャッチコピーにもそれが、使われていたことだっ
た。(つづく)

2009年10月14日水曜日

ターボ車は、嫌いですか?(その1)

 どうも私のまわりの車通の仲間では、アンチターボ車派、NAのほうがいい派が、圧倒的に多い。ネット
の掲示板でも、そんな論調が若い車好きに多いような気がする。

 私は、どちらかと問われれば、どちらでも派?だろうか。よく、ターボ VS. NAという語り口があるけ
ど、よーく考えてみると、ターボ VS. NAじゃなくて、ターボ VS. 大排気量(NA)って言うのが、
あってるんじゃないかという気がする。ターボは、排気量の不足を補い、あるいは小さいキャパのエンジ
ンながら大排気量なみのパワーを出す目的で存在していると思うからだ。NAというのは、特別に独立し
て存在するわけではなくて、基本型というか、もともとは、すべてのエンジンがNAが基本なのだということ
ではないのかと思うのだが・・・・・・世間ではNA高回転エンジン VS.ターボエンジン VS.大排気量
エンジンみたいな図式が自動車フリークの間で話題になっている。

 ターボエンジンというのは、原理がジェットエンジンにも応用されているというのは、知っている人は、
どれくらいいるだろうか。あまりいないんじゃないかと思う。私も、くわしくは最近まで知らなかった。専門の
本を読んでもなんの話やらむずかしくて全然理解できなかった。それがインターネットの発達にともない
同時にいろんな資料にあたれる強みから、今やかなり高度な専門知識も以前よりは容易に獲得できる
ようになった。そのおかげで、ジェットエンジンの基本的原理も、誰でもすこしは理解できるようになった。

 ご存じのように、ターボエンジンというのは、排気圧力を利用して、インペラー(排気側タービンブレー
ド)をまわし、それが同軸上につながったインペラー(吸気側タービンブレード)をまわしてやることにより
空気を強制的に吸い込むしかけである。NAでは、ピストンの下降にともない吸気バルブが開くことに
よって生じた負圧(吸い込む力)で空気を吸いこんでいる。つまり、言いかえればダブルのしかけで、
空気を吸い込むしかけと言える。それとNAでは、ピストンの押し下げ圧力で吸っているので、基本的に
吸気の圧力(負圧)は、一定(正確にはカムプロフィールによって変化する)だが、ターボエンジンの
場合、排気圧力が増えれば吸気圧力が増え、吸気圧力が増えれば、排気圧力が増え・・・・・と、原理
的には天井知らずで吸気量が増大することになっている。もちろんエンジンの強度に限界があるから
そうは、簡単な話ではなく、市販の自動車エンジンでは現実的にはそれほど限界が高いわけではな
い。
 
 自動車では、基本的に吸気量の増大によって増大した爆発エネルギーをそのままNAと同じように
クランク軸に導き、トランスミッション、ドライブシャフト、ホイール、タイヤと伝えている。一方ジェットエンジ
ンでは、さっきの排気圧力が増えれば吸気圧力が増え、吸気圧力が増えれば、排気圧力が増え・・・・・
の原理で幾何級数的に圧力を増大させ、きわめて濃密な圧縮空気を作り出し、そこに燃料(ケロシン
=灯油)を噴射、点火させ、爆発時の噴射エネルギーで人工的な気流を生み出す。当然ジェットエンジ
ンの手前は、エンジンに吸い寄せられるものすごい気流が発生することになる。
 あとは、翼やヨットのセールの推進力の原理と同じで、翼の上下を通過する気流の速度差を利用して
揚力を発生させ、飛んでいくことになる。離陸時は、多分フラップを使って揚力を前方に転がす力に
しているのでは、ないか。(そこまでは、調べたことがないが)。いずれにせよ、ジェットエンジンというの
は、タービンの化け物だと思えば理解がしやすいのではないだろうか。
 あたりまえだが、ピストンもコンロッドもクランクもない。

 60年代~70年代の米国でのV8エンジンパワー競争時代、ターボジェットV8とかロケット455とか、
スーパーコブラジェットなどのネーミングが流行ったが、どのエンジンもジェットは、おろかターボさえ
無関係のV8OHVだった。おそらく、軍用機の飛行能力にかぶせたネーミングでマーケットにイン
パクトを与えたかったのだろう。
 ただ、オールズのロケット455W31エンジンといのうは、どういう仕掛けになっているのか、吸排気
の多少パーツを変えた仕様で走って、いざ全開にすると、本当にロケットの発射音のような爆音を出す
のには驚いたことがある。おそらくノーマルでも同じだったかと思う。日本では、オールズロケットV8
のオーナーになった人は、数えるくらいしかいないだろうから全くそんな話は聞いたことがないし、米国
のサイトを見てもそれらしきことは、ちっとも載ってないないのだが。
  夜の国道バイパスで響き渡った、あのまるでロケットの発射音みたいな轟音は、私の錯覚だったの
だろうか?

 ちなみに、その後徹底的にブループリンティング(フルチューニング)を施された、ロケットV8は全く
そんな音は出さなくなったが・・・・

 話を少しもどそう。ターボチャージャーというのは、第二次世界大戦でおもに米国爆撃機に採用されて
高空を快速で飛行できるものとして圧倒的に活躍したのが知られている。B17やB29である。
 日本では、ターボチャージャーの技術が遅れていたため、なかなか迎撃ができにくかったと言われて
いるが、実際は大健闘でB29搭乗員3000人以上が戦死している。
 また、有名な米国海軍のF6F、陸軍のP51も日本機と同じスーパーチャージャー式エンジンだったの
だし。大戦末期には、戦闘機にターボチャージャーをという計画もあったらしいが、米国陸海軍は、採用
を見送ったと言われている。

 ということで、生きるか死ぬかの戦争における戦闘機同士の空中戦では、大排気量のスーパーチャー
ジャーエンジンが、優勢であったというべきじゃないだろうか?ターボラグのあるエンジンでは、話になら
ないということなんだろうか?

 *先日、呑龍という日本の4発型爆撃機搭乗員だった方(民間パイロットから軍に徴用された)の市内
で行われた講演会に出席させてもらった。ちょっと質問したら、司会者からマニアックすぎるのでそのへ
んで・・・・と中断されてしまったけど、大戦末期の日本の爆撃機でも、米国機を上回る3段3速、あるい
は4段4速のスーパーチャージャー付きエンジンを搭載していたということを聞いた。
 またその人の後輩で同じ会に出席し私の隣に座っていた人(80歳)が、私の方に向かいながら、詳しく
説明してくれたのだが、飛行機というのは離陸時が、一番馬力が必要なそうで、私がそのとき別に質問し
た水メタノール噴射装置(大戦中にドイツ空軍や日本海軍の紫電改でも使用したとされ、米国V8エンジ
ンのチューニングでも使われることがある)では、離陸時にしか使わないそうである。(ターボプロップの
旅客機の話だろうけど)。大体、灯油缶1缶くらいだそうだ。それ以上、戦闘機では、追撃時や避退時に
使ったのでは、ないですか?とはその方の専門とは、違うようだし、せっかく大切なことを教えてくれてい
るのに失礼な気がして聞くのは遠慮した。

 この方(後輩の方)は、昭和40年代から30年間、国際線ジャンボジェットの機長をされていたそうで、
その折りのアルバムなども見せていただいた。そこには、その方の40代の壮年時の頼りがいのあり
そうな機長姿があった。
 ジャンボを世界中に飛ばしていた人が、もうこんな高齢になっておられるのか・・・・・と少し驚いたと
同時に日本の戦前の航空パイロット養成課程というものの、質の高さというか、確かなものだったという
か、現代のわたしたちは、昔は遅れていたんだろう・・・・とステレオタイプな考え方になりがちだが、反省
しなけりゃならないという気がした。
 この方は、実ににこやかで腰が低く、品のいい好好爺というにはまだ早い老紳士という風情だった。
先輩もこの方も、学校は仙台乗員養成所という地方の航空学校出身なのだが、きちんとプロセスを
ふんで教育・訓練を続けると爆撃機やジャンボも飛ばせるようになるんだなあと、感慨深かった。






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2009年10月13日火曜日

グレート草津さんとグレート草津2世の10年前のワンショット

 先日、2代目グレート草津(プロレスラーの父親のご子息で正道会館選手)が、
K1引退試合を武蔵とやったというネット記事を目にした。2代目グレート草津選手
は、期待されながらもあまりパッとしない戦績のうちに試合に出なくなってしまった
ので、どうしたのだろうと思っていた。記事によると、ずっとお父さんの看病で何年
もつきっきりだったとか書かれていた。これだけ見ると、この親子がどんな親子だ
ったのかわからない。世間には、そんな話は結構あるね~と思う人も多いのでは
ないだろうか・・・・・
 私は、とくに親子と人間関係があったっわけじゃないけどたまたま親子を半日
以上の時間見かけることになった経験があり、その様子を語ってみたい。  
 あれは、もう10年くらい前のことだけど、当時私はフルコンタクト空手道場勇志会
の門人のはしくれで正道会館主催の東都レベルの大会があり、同門の兄弟子の
ホープ(黒帯)をはじめ色帯選手数人が出場するので見に行った。
新宿体育館?だったろうか。その大会のフルコンタクト重量級の部準決勝でうちの
道場の黒帯の兄弟子のホープと対戦したのが、2代目グレート草津選手である。

 当時は、大学を卒業して内弟子(道場住み込み)修業しているという話を聞いた。
うちの兄弟子は、彼が黄帯、私が水色帯からのつきあいで、その絶大の強さとくに
パワーのすごさは知っていたので、当時まだ緑帯だった草津選手などは、全くよせ
つけず決勝まで行って優勝するだろうと思っていた。それが、試合が始まってみると
全くの互角の勝負が展開されたのである。両者とも20代で双方とも登録身長180cm、
草津選手が95kg、兄弟子が90kg(実際は85kgくらいかなと言っていたが)、うちの
兄弟子の筋骨に勝るともおとらないその体躯は、フルコンの選手で重量級とはいえあまり
いない。まして真っ向からのパワー勝負で互角の試合など、外人相手の試合を含め
みたことがなかった。もちろん技を含め総合的な実力では、もっと上を行く全日本
レベルの選手は、うちの道場内でさえ何人かはいるけれども、瞬発力面では、
兄弟子は相当のものだった。

 試合開始、中段の突きと下段のキックのおたがいにコンビネーションで攻撃防御
の応酬が開始され、時折草津選手が強烈なハイを放ち兄弟子がニヤリとしながら
受ける。そんな攻防が続き、2~3分たった頃だろうか急にお互いの表情が苦し
そうになりスタミナがきれかかってきたのが、見えてきた。
私は、普段の兄弟子の無尽蔵とも言えるスパーでのスタミナぶりを知っているだけに、
とても意外だった。そして、ほとんど同時に草津選手も同じ状態に陥ったのもまた驚きだった。
 まるで示し合わせてやっているようにも見えるくらいなのである。そのまま、中段の
突きの応酬で時間切れ 間際のラッシュで本戦終了、判定となった。下段のキックで
兄弟子有利、中段突き本数で草津選手有利と私には見えた。判定は引き分け。

 延長1回目、同じく中段突きの応酬と草津選手のときおりのハイ、兄弟子のローで
攻防が展開する。草津選手は、ひっかけ気味の上段ひざげり(本戦では2本くらい
しか使わなかった)を多用しだす。それが兄弟子の空手着を故意ではないのだろうが、
つかむような恰好になり、空手着が破れだす。2分経過、終了判定、引き分け。
 おたがいの息は荒く、たがいを凝視しながら、延長2回目、延長1回目と同様の
攻防が展開されるが、おたがいへばっているのが、よくわかる。草津選手の繰り出す
技が、少々荒っぽくなりだす。強引に上段のひざを相手の顔面に決めようとしている
のがわかる。そのたびに、受け流す兄弟子。しかし、一瞬つかみがあるため、体の
自由がきかず、前のめりになる兄弟子。その時、びりっと音がして、ついに袖の半分が
破れる。草津選手につかみの注意1回、延長2回目終了、判定引き分け。

 まだやるの~!!
 
 延長3回目ますます草津選手のパワーを生かした上段顔面を狙ったひざげりが、
つかみかげんで展開され、兄弟子は前のめりで受けかわし、すっくと背を伸ばしニヤリ。
当時うちの道場は受けの稽古にかなり力を入れていることもあってか、黒帯クラスで1本負け
を喫した選手は聞いたことがないくらいだった。この場合も一度も決まらないのだが、
審判への印象(もちろん正道会館側の人)としては、あまり、良くないかもしれない。突きは、
おたがい優劣なし。兄弟子のローは、本数がすこし減った気がした。そして延長3回目終了間際、
とうとう兄弟子の袖が破れてとれてしまった!!

 こんなシーンは見たことがない。それにしてもおたがいよく戦ったものだと思った。
おそらくトータルで10分前後全力で戦ったのではないだろうか。それにしても空手着を、
ひきちぎるほどの草津選手のパワーは、すさまじいかぎりだった。そして判定。

 2-1?だったかで草津選手勝利。その後、決勝では簡単にパワー技での一本勝ちで、
草津選手が優勝した。だから、準決勝が、事実上の優勝決定戦だったわけだ。
 観戦中の正道の試合関係者(スタッフ)が、「あいつもいい体してて、やるなあ。すげえな」
とうちの兄弟子のことをそばの別のスタッフに評していた。
 当時は、仮にも黒帯の兄弟子に対して、たかが緑帯の選手との対戦で失敬なやつだ
と思ったけど、その後草津選手が、全日本クラスで上位入賞したり、黒帯取得、プロ転向
と矢継ぎ早の情報を聴いて、納得がいったような気がした。

 それを兄弟子を教えてやると、「えっ~!! そうなんですか~?」(兄弟子は自分よりけっこう年下)
と言ってにこやかに笑っていたが、それほどあの一戦を特別には考えていないようだった・・・・・・
まあ、数々の大会のひとつの試合って感じだったんだろう。
 長く書いてしまったけど、この試合に亡くなった初代草津選手が、2回戦位から来ていて
観戦していた。プロスポーツ選手は、公称身長よりずっと低い人が多いけど、草津さんは、
思ったよりかなりでかい人だったので驚いた記憶がある。
 もちろん、当時50代後半くらいだろうから、多少低くなったとはいえ、公称192cmまでは
ないだろうけども、まちがいなく185cmは楽に超えている感じだった。それにあの体のでかさ。
悪い意味じゃないが、足が長くないので上半身だけからするとものすごく大きい。そのせいも
あるのか、気の毒に当時も歩き方が、シニアになった大男特有の歩き方で、ひざをいくらか
曲げかげんでぎこちなく歩いておられた。この人は、そばにいると全然威圧感もなけりゃ、
いばってるところなんか全く程遠く、自分が有名人だなどという雰囲気は全然出さない人だった。
 試合観戦も一般観客の中に混じり普通に見ておられた。試合が終わった後、知り合いが、
何人もいたせいか、おじさん同士で肩を横並びで組んで写真におさまったり、優勝した息子の草津
選手とうれしそうに隣に立ってトロフィーに写真でおさまったりしていた。
 そのとき聞こえた話しぶりが、言葉自体はぶっきたぼうなのだけど、とてもあたたかみのある人柄を
思わせる声がとても印象的だった。そして、親子はべたべたは、もちろんしていなのだけど、
なにかおたがいあたたかい親子関係なんじゃないかってのは、傍目にも何気になく漂い
わかる気がしたものだった・・・・
 あれから10年、草津さんは亡くなってしまった。たぶん草津さんを知る人は、あんな
いい人いなかったのに・・・・と無念だろうと思う。
 誰でもあんなおやじは、すばらしいと思うんじゃないだろうか。私のおやじも、すこし歳を
とってしまったけど、どこか似ている気がする。有名と無名の差は、大きいが・・・・
 
 優勝した2代目草津選手が、草津さんにおこずかいをせびったので、おたがいニヤニヤ
しながら、「しょうねえ~なー(草津さん)」と言いながらお互いの体で隠すようにして1万円を渡し、
受け取っていたのがほほえましかった。  草津さん、まだ66歳、惜しい人を亡くしたものだ・・・・・・
合掌

 ちなみになぜか木梨憲武が見に来ていた。また色帯の下のクラスでは、正道の若手ホープで
いずれK-1かと言われた194cmの中田選手も出ていて優勝したが、その後プロにはならなか
ったのだろうか。その後の噂をきかない。あとうちの兄弟子は、信頼できる人から聞いたのだが
(本人は道場ではあまり公開してなかった)「こち亀」に出ていたこともある、けっこう名の知れた
プロの声優さんである。  

2009年10月10日土曜日

村上春樹ノーベル文学賞またも逸す!!

 今回も村上氏は、やはりノーベル賞はとれなかった。私は、ファンには申し訳ないけど、あたりまえだと
非情なことを言う。だって、氏の代表作と言われ、多分候補対象作品と目される「ノルウェイの森」(全然
ノルウェイなんか関係なくて、単にビートルズの同名の曲を主人公が思い出してるだけで、中味はほとん
ど官能小説の域をでてないともとれなくもない)なんか、オマンコとかオナニーとか精液とか無造作に出
てくるんだから、あれが世界最高水準の文学だったら、腹の底から大笑いしたくなると思う人は、文学通
なら少なくないだろうと思う。

 それに時代考証が稚拙だ。というよりやってない。70年代を描くのに、読んでいるとまるっきり80年代
の雰囲気が漂っている。それは、作者が80年代から創作を始めたからに他ならないだろう。私は、かろ
うじて70年代最後の東京の学生街の雰囲気を実際に見ることができた。といっても、高校生、受験生
としてだけど、村上作品には70年代を舞台にしていながら、あの70年代の色が全然出ていない。
私はその後80年代前半を東京の大学生として生きたが、70年代と80年代では全く時代が変わったと
いう気がしている。たとえて言うなら、70年代は学生運動や「神田川」、「俺たちの旅」のあの時代、そこ
へいくと80年代は、「なんとなくクリスタル」「ふぞろいの林檎」、そしてリッチなブランド至上主義だった。
最近、神田の古本屋で田中康夫氏の「ぼくたちの時代」という分厚いダイアリー形式の80年代に書かれ
た日々のエッセー集を手に入れて読んでいるが、読みだすとあっという間に80年代にタイムスリップした
ような感覚になる。本当にあの時代に、あの時を謳歌していた人でなくては、書けないし、読む方でも
理解できない内容がふんだんに出てくる。
 今仮に、誰かが80年代を背景にした作品を書こうと思ったらとても参考になるものだ。あるいは、記録
映像や写真でもいい。そういうものでちゃんとその時代をとらえて作品を描かないと、現代人が作るいい
かげんな時代劇程度になってしまうのではないだろうか。

 加えて専門用語の間違いや用法、描写のまちがいなども残念ながら芸術作品とは、とても呼べないも
のだ。たとえば「海辺のカフカ」に出てくる「計理人」という表現があるけど、計理士ならわかるが、文脈
からすると、どうも単に「経理」人らしい気がするし、「ダンス・ダンス・ダンス」では、白樺が紅葉する描写
が出てくる。読んですぐ、私は違和感を覚えた。私がたまに走りにいく広大な白樺林のワインディング
ロードは紅葉なんかしていないのだ。そう、白樺は「紅葉」ではなく「黄葉」になる。また、「ノルウェイ」で
は高校時代の親友キズキのバイクに乗って遠出した思い出が語られるけど、バイクに二人乗りするのに
後席は運転手にしがみついたりしないのだ。そんなことをしたらライダーの操作のじゃまになる。70年代
友人のバイクに何度も乗せてもらったことがあるが、普通は後尾のラダーのようなバーをつかんで支える
ものである。

 こんなことさえ、ちゃんと調べなかったのだろうか?編集者もひどい低レベルだ。校正をまともにやらな
かったのだろうか・・・・

 というわけで、私は本当に推薦委員が原文を理解できるなら、ノーベル賞はないと思っている。もっとも
各国訳では、不都合な箇所は削除されていたり、書きかえられていると聞く。だとすると、だまされる委員
も出てくるのであろうか。ちょっとノーベル賞推薦委員(誰だかは絶対の秘密らしい)の審査能力を見る
にはいい機会かもしれない。

 また、氏が芥川賞を逸したことに賛否両論があるけども、私的見解としては、審査委員を支持したい。
よくぞ日本文学の質を守ったと拍手したい。ただし・・・・2度目の候補になった「1973年のピンボール」
は、私は芥川賞受賞に値する作品だと思う。もし、受賞していたら、その後の「ここまで書いてやれ!」
の官能村上文学は、もっと洗練された芸術性の高い作品群になった気がしてならない。

 よく村上作品は、メタファーの素晴らしさが語られるけども、それは全く正しい。おそらくかつて日本
文学で、これほど縦横無尽に駆使した作家はいない。しかし、作品中、主人公に「メタファーがすべて
なんだよ」と語らせているのがあるけども、ではエピグラムやアフォリズム、プロバーブはどうなんでだろ
う?という気がしてくる。

 「1Q84」では、開き直ってこれだけ多くの読者に支持されてるんだからいいんだろ?みたいなことを
作品中とはいえ、人物に語らせる箇所があると言う。何をかいわんやという気になってしまう。まあ、あまり
真剣に考えないで、お気楽に楽しむのが村上作品の鑑賞法なのだろう。そういう面では、意味があると言える。

 NHKの週刊ブックレビューで取り上げられた時、東大の先生がどんなアジテーションを言うのかと
思ったら、全くそういうことはなかったし、他の出演者もまったく私と同様の感想を言っていたので、ホッと
した。 これが民放で金がからんでいたら、アジテーションの連発だったのではないだろうか?いずれに
せよ村上文学は、有名人にタダで優先配布して宣伝してもらってるような節もあるし、なんか手放しで評
価できない代物だという気がしてならない。
 奇しくも、ブックレビュー出演のプロの作家や評論家が言ったように、「読んでいるときはドキドキドキド
キで読み進んでいきましたが、終わってみるとさほどでもない」「これは、レストランで言えば、現在もっと
も予約のとれないところで、よそから招待されて食事をしたような経験だけど、たしかにうまかった。でも
また自分の金で行くかと言うと、多分行かないと思う。なぜなら、もっと安くておいしい店をしっているか
ら」というのが、一番正解のような気がする。これは、村上氏の主要全作品についても私は、同じ感想
を持っている。