非情なことを言う。だって、氏の代表作と言われ、多分候補対象作品と目される「ノルウェイの森」(全然
ノルウェイなんか関係なくて、単にビートルズの同名の曲を主人公が思い出してるだけで、中味はほとん
ど官能小説の域をでてないともとれなくもない)なんか、オマンコとかオナニーとか精液とか無造作に出
てくるんだから、あれが世界最高水準の文学だったら、腹の底から大笑いしたくなると思う人は、文学通
なら少なくないだろうと思う。
それに時代考証が稚拙だ。というよりやってない。70年代を描くのに、読んでいるとまるっきり80年代
の雰囲気が漂っている。それは、作者が80年代から創作を始めたからに他ならないだろう。私は、かろ
うじて70年代最後の東京の学生街の雰囲気を実際に見ることができた。といっても、高校生、受験生
としてだけど、村上作品には70年代を舞台にしていながら、あの70年代の色が全然出ていない。
私はその後80年代前半を東京の大学生として生きたが、70年代と80年代では全く時代が変わったと
いう気がしている。たとえて言うなら、70年代は学生運動や「神田川」、「俺たちの旅」のあの時代、そこ
へいくと80年代は、「なんとなくクリスタル」「ふぞろいの林檎」、そしてリッチなブランド至上主義だった。
最近、神田の古本屋で田中康夫氏の「ぼくたちの時代」という分厚いダイアリー形式の80年代に書かれ
た日々のエッセー集を手に入れて読んでいるが、読みだすとあっという間に80年代にタイムスリップした
ような感覚になる。本当にあの時代に、あの時を謳歌していた人でなくては、書けないし、読む方でも
理解できない内容がふんだんに出てくる。
今仮に、誰かが80年代を背景にした作品を書こうと思ったらとても参考になるものだ。あるいは、記録
映像や写真でもいい。そういうものでちゃんとその時代をとらえて作品を描かないと、現代人が作るいい
かげんな時代劇程度になってしまうのではないだろうか。
加えて専門用語の間違いや用法、描写のまちがいなども残念ながら芸術作品とは、とても呼べないも
のだ。たとえば「海辺のカフカ」に出てくる「計理人」という表現があるけど、計理士ならわかるが、文脈
からすると、どうも単に「経理」人らしい気がするし、「ダンス・ダンス・ダンス」では、白樺が紅葉する描写
が出てくる。読んですぐ、私は違和感を覚えた。私がたまに走りにいく広大な白樺林のワインディング
ロードは紅葉なんかしていないのだ。そう、白樺は「紅葉」ではなく「黄葉」になる。また、「ノルウェイ」で
は高校時代の親友キズキのバイクに乗って遠出した思い出が語られるけど、バイクに二人乗りするのに
後席は運転手にしがみついたりしないのだ。そんなことをしたらライダーの操作のじゃまになる。70年代
友人のバイクに何度も乗せてもらったことがあるが、普通は後尾のラダーのようなバーをつかんで支える
ものである。
こんなことさえ、ちゃんと調べなかったのだろうか?編集者もひどい低レベルだ。校正をまともにやらな
かったのだろうか・・・・
というわけで、私は本当に推薦委員が原文を理解できるなら、ノーベル賞はないと思っている。もっとも
各国訳では、不都合な箇所は削除されていたり、書きかえられていると聞く。だとすると、だまされる委員
も出てくるのであろうか。ちょっとノーベル賞推薦委員(誰だかは絶対の秘密らしい)の審査能力を見る
にはいい機会かもしれない。
また、氏が芥川賞を逸したことに賛否両論があるけども、私的見解としては、審査委員を支持したい。
よくぞ日本文学の質を守ったと拍手したい。ただし・・・・2度目の候補になった「1973年のピンボール」
は、私は芥川賞受賞に値する作品だと思う。もし、受賞していたら、その後の「ここまで書いてやれ!」
の官能村上文学は、もっと洗練された芸術性の高い作品群になった気がしてならない。
よく村上作品は、メタファーの素晴らしさが語られるけども、それは全く正しい。おそらくかつて日本
文学で、これほど縦横無尽に駆使した作家はいない。しかし、作品中、主人公に「メタファーがすべて
なんだよ」と語らせているのがあるけども、ではエピグラムやアフォリズム、プロバーブはどうなんでだろ
う?という気がしてくる。
「1Q84」では、開き直ってこれだけ多くの読者に支持されてるんだからいいんだろ?みたいなことを
作品中とはいえ、人物に語らせる箇所があると言う。何をかいわんやという気になってしまう。まあ、あまり
真剣に考えないで、お気楽に楽しむのが村上作品の鑑賞法なのだろう。そういう面では、意味があると言える。
NHKの週刊ブックレビューで取り上げられた時、東大の先生がどんなアジテーションを言うのかと
思ったら、全くそういうことはなかったし、他の出演者もまったく私と同様の感想を言っていたので、ホッと
した。 これが民放で金がからんでいたら、アジテーションの連発だったのではないだろうか?いずれに
せよ村上文学は、有名人にタダで優先配布して宣伝してもらってるような節もあるし、なんか手放しで評
価できない代物だという気がしてならない。
奇しくも、ブックレビュー出演のプロの作家や評論家が言ったように、「読んでいるときはドキドキドキド
キで読み進んでいきましたが、終わってみるとさほどでもない」「これは、レストランで言えば、現在もっと
も予約のとれないところで、よそから招待されて食事をしたような経験だけど、たしかにうまかった。でも
また自分の金で行くかと言うと、多分行かないと思う。なぜなら、もっと安くておいしい店をしっているか
ら」というのが、一番正解のような気がする。これは、村上氏の主要全作品についても私は、同じ感想
を持っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿