K1引退試合を武蔵とやったというネット記事を目にした。2代目グレート草津選手
は、期待されながらもあまりパッとしない戦績のうちに試合に出なくなってしまった
ので、どうしたのだろうと思っていた。記事によると、ずっとお父さんの看病で何年
もつきっきりだったとか書かれていた。これだけ見ると、この親子がどんな親子だ
ったのかわからない。世間には、そんな話は結構あるね~と思う人も多いのでは
ないだろうか・・・・・
私は、とくに親子と人間関係があったっわけじゃないけどたまたま親子を半日
以上の時間見かけることになった経験があり、その様子を語ってみたい。
あれは、もう10年くらい前のことだけど、当時私はフルコンタクト空手道場勇志会
の門人のはしくれで正道会館主催の東都レベルの大会があり、同門の兄弟子の
ホープ(黒帯)をはじめ色帯選手数人が出場するので見に行った。
新宿体育館?だったろうか。その大会のフルコンタクト重量級の部準決勝でうちの
道場の黒帯の兄弟子のホープと対戦したのが、2代目グレート草津選手である。
当時は、大学を卒業して内弟子(道場住み込み)修業しているという話を聞いた。
うちの兄弟子は、彼が黄帯、私が水色帯からのつきあいで、その絶大の強さとくに
パワーのすごさは知っていたので、当時まだ緑帯だった草津選手などは、全くよせ
つけず決勝まで行って優勝するだろうと思っていた。それが、試合が始まってみると
全くの互角の勝負が展開されたのである。両者とも20代で双方とも登録身長180cm、
草津選手が95kg、兄弟子が90kg(実際は85kgくらいかなと言っていたが)、うちの
兄弟子の筋骨に勝るともおとらないその体躯は、フルコンの選手で重量級とはいえあまり
いない。まして真っ向からのパワー勝負で互角の試合など、外人相手の試合を含め
みたことがなかった。もちろん技を含め総合的な実力では、もっと上を行く全日本
レベルの選手は、うちの道場内でさえ何人かはいるけれども、瞬発力面では、
兄弟子は相当のものだった。
試合開始、中段の突きと下段のキックのおたがいにコンビネーションで攻撃防御
の応酬が開始され、時折草津選手が強烈なハイを放ち兄弟子がニヤリとしながら
受ける。そんな攻防が続き、2~3分たった頃だろうか急にお互いの表情が苦し
そうになりスタミナがきれかかってきたのが、見えてきた。
私は、普段の兄弟子の無尽蔵とも言えるスパーでのスタミナぶりを知っているだけに、
とても意外だった。そして、ほとんど同時に草津選手も同じ状態に陥ったのもまた驚きだった。
まるで示し合わせてやっているようにも見えるくらいなのである。そのまま、中段の
突きの応酬で時間切れ 間際のラッシュで本戦終了、判定となった。下段のキックで
兄弟子有利、中段突き本数で草津選手有利と私には見えた。判定は引き分け。
延長1回目、同じく中段突きの応酬と草津選手のときおりのハイ、兄弟子のローで
攻防が展開する。草津選手は、ひっかけ気味の上段ひざげり(本戦では2本くらい
しか使わなかった)を多用しだす。それが兄弟子の空手着を故意ではないのだろうが、
つかむような恰好になり、空手着が破れだす。2分経過、終了判定、引き分け。
おたがいの息は荒く、たがいを凝視しながら、延長2回目、延長1回目と同様の
攻防が展開されるが、おたがいへばっているのが、よくわかる。草津選手の繰り出す
技が、少々荒っぽくなりだす。強引に上段のひざを相手の顔面に決めようとしている
のがわかる。そのたびに、受け流す兄弟子。しかし、一瞬つかみがあるため、体の
自由がきかず、前のめりになる兄弟子。その時、びりっと音がして、ついに袖の半分が
破れる。草津選手につかみの注意1回、延長2回目終了、判定引き分け。
まだやるの~!!
延長3回目ますます草津選手のパワーを生かした上段顔面を狙ったひざげりが、
つかみかげんで展開され、兄弟子は前のめりで受けかわし、すっくと背を伸ばしニヤリ。
当時うちの道場は受けの稽古にかなり力を入れていることもあってか、黒帯クラスで1本負け
を喫した選手は聞いたことがないくらいだった。この場合も一度も決まらないのだが、
審判への印象(もちろん正道会館側の人)としては、あまり、良くないかもしれない。突きは、
おたがい優劣なし。兄弟子のローは、本数がすこし減った気がした。そして延長3回目終了間際、
とうとう兄弟子の袖が破れてとれてしまった!!
こんなシーンは見たことがない。それにしてもおたがいよく戦ったものだと思った。
おそらくトータルで10分前後全力で戦ったのではないだろうか。それにしても空手着を、
ひきちぎるほどの草津選手のパワーは、すさまじいかぎりだった。そして判定。
2-1?だったかで草津選手勝利。その後、決勝では簡単にパワー技での一本勝ちで、
草津選手が優勝した。だから、準決勝が、事実上の優勝決定戦だったわけだ。
観戦中の正道の試合関係者(スタッフ)が、「あいつもいい体してて、やるなあ。すげえな」
とうちの兄弟子のことをそばの別のスタッフに評していた。
当時は、仮にも黒帯の兄弟子に対して、たかが緑帯の選手との対戦で失敬なやつだ
と思ったけど、その後草津選手が、全日本クラスで上位入賞したり、黒帯取得、プロ転向
と矢継ぎ早の情報を聴いて、納得がいったような気がした。
それを兄弟子を教えてやると、「えっ~!! そうなんですか~?」(兄弟子は自分よりけっこう年下)
と言ってにこやかに笑っていたが、それほどあの一戦を特別には考えていないようだった・・・・・・
まあ、数々の大会のひとつの試合って感じだったんだろう。
長く書いてしまったけど、この試合に亡くなった初代草津選手が、2回戦位から来ていて
観戦していた。プロスポーツ選手は、公称身長よりずっと低い人が多いけど、草津さんは、
思ったよりかなりでかい人だったので驚いた記憶がある。
もちろん、当時50代後半くらいだろうから、多少低くなったとはいえ、公称192cmまでは
ないだろうけども、まちがいなく185cmは楽に超えている感じだった。それにあの体のでかさ。
悪い意味じゃないが、足が長くないので上半身だけからするとものすごく大きい。そのせいも
あるのか、気の毒に当時も歩き方が、シニアになった大男特有の歩き方で、ひざをいくらか
曲げかげんでぎこちなく歩いておられた。この人は、そばにいると全然威圧感もなけりゃ、
いばってるところなんか全く程遠く、自分が有名人だなどという雰囲気は全然出さない人だった。
試合観戦も一般観客の中に混じり普通に見ておられた。試合が終わった後、知り合いが、
何人もいたせいか、おじさん同士で肩を横並びで組んで写真におさまったり、優勝した息子の草津
選手とうれしそうに隣に立ってトロフィーに写真でおさまったりしていた。
そのとき聞こえた話しぶりが、言葉自体はぶっきたぼうなのだけど、とてもあたたかみのある人柄を
思わせる声がとても印象的だった。そして、親子はべたべたは、もちろんしていなのだけど、
なにかおたがいあたたかい親子関係なんじゃないかってのは、傍目にも何気になく漂い
わかる気がしたものだった・・・・
あれから10年、草津さんは亡くなってしまった。たぶん草津さんを知る人は、あんな
いい人いなかったのに・・・・と無念だろうと思う。
誰でもあんなおやじは、すばらしいと思うんじゃないだろうか。私のおやじも、すこし歳を
とってしまったけど、どこか似ている気がする。有名と無名の差は、大きいが・・・・
優勝した2代目草津選手が、草津さんにおこずかいをせびったので、おたがいニヤニヤ
しながら、「しょうねえ~なー(草津さん)」と言いながらお互いの体で隠すようにして1万円を渡し、
受け取っていたのがほほえましかった。 草津さん、まだ66歳、惜しい人を亡くしたものだ・・・・・・
合掌
ちなみになぜか木梨憲武が見に来ていた。また色帯の下のクラスでは、正道の若手ホープで
いずれK-1かと言われた194cmの中田選手も出ていて優勝したが、その後プロにはならなか
ったのだろうか。その後の噂をきかない。あとうちの兄弟子は、信頼できる人から聞いたのだが
(本人は道場ではあまり公開してなかった)「こち亀」に出ていたこともある、けっこう名の知れた
プロの声優さんである。
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