2010年1月20日水曜日

福永武彦「愛の試み」について

 このあいだ、読了したこの人の「草の花」に続く作品になる。池澤夏樹という作家の名前をずいぶん
目にするが、この人の父親であるとのこと。もっとも桐野氏(名前の印象とちがって女性ではない)は、
ずっとそのことを知らずに育ったらしいけど。

 このエッセーは、若いひとたちが読むべきものだと思った。裏をかえせば、恋も恋愛も、女もそれ相応
に経験してきた男たちが読んでみたところで、そうだったかなあ、という感興くらいしかわいてこないのではないだろうか?
 標題から受ける印象が、美的であるがゆえに、引きつけられる人も少なくないとは思うが、概して男と女
の恋愛論だ。それも、どちらかと言えば、古典的な概念に基づいている。といっても、プラトニックな純愛
を論じたものでなく、ごく直截的な感じさえする、肉体的な交わりと恋愛とのかかわりや関係さえまともに
論じてはいる。どこを読んでも、ごくまじめに論じられていて、失恋こそ恋愛だ、などと言う屈折した敗者
の美学などもこの時代にはめずらしく、みじんもない。
 
 ただ、ややもすると、恋愛勝者の余裕で書かれた気配が感じられるのは、うがった見方だろうか?
 筆者は、体験にもとづく持論を展開しているようなのだが、福永氏、経歴からすると、モテ男だったよう
な様子なのである。
 同人誌に参加し、そこの中心メンバーと思しき年上の女性と交わり、できたのが桐野氏だという。その
後離婚して、別の女性と何度か結ばれている。どうも、女で苦労したような形跡がなさそうなのである。

 また、「草の花」という小説は、若い男性同士の、友情を超えた感情をテーマにしているが、こんな
テーマも、もしかしたら「愛の試み」だったのでは?などと考えさせられてしまうのであるが・・・・・・

 「草の花」は、じつに情景描写の美しい物語である。とくに、学校のクラブで伊豆合宿をした箇所の
描写が、じつに印象的で、ここでピークを迎える、美しい下級生への愛情というものを、作品の美しさ
そのもので、浄化しきわめてインプレッシブな芸術として仕上げるのに成功したと思う。「草の花」は、
若い世代だけでなく、広く理解できる価値性を有していると言えるが、「愛の試み」は、はたしてそこまで
価値があるのだろうか?私は、やや狭隘的な印象をぬぐえなかった。
 多分、これから恋愛や異性関係とのふんだんな経験が待ち構えているだろう、大学生などが読者とし
て適しているのでは、ないだろうか?

 ちなみに、愛とは人生の運命が引き起こす、「孤独」にあがなうすべであり、愛することは相手の「孤独」
を自分のもとして生きる決意をすることと論じているが、後段しかわたしには共感がなかった。もちろん、
そういう愛が、大きな愛として存在する意義は理解しているが、それを恋愛まで敷衍していいものか、
どうか私にはわからない。この論によれば、家族愛、人類愛、郷土愛も、男女間の恋愛も根源的に
いっしょということになりそうなのだが・・・・・・恋愛とは、はたしてそんなに高尚で意義深いことなのだろ
うか。こう言ってはなんだけど、あまっちょろいねーって言うのが、読後の実感である。


愛の試み (新潮文庫)




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