2010年3月15日月曜日

【文学論】志賀直哉という伝説の作家について

 最近、志賀直哉を読み直している。集中的に読み直している。代表作は全部網羅するつもりだ。もう、
「和解」も「大津順吉」も「城の崎にて」も「小僧の神様」も読了した。この作家は、教科書に出ているから
学生時代から読んできたが、正直言って、どこがいいのか全然わからなかった。写真でみる肖像から
きっと好好爺のいい、ひひじーさんなんだろうと思ってきた。小説の神様とも言われるが、さほどのこととも
思わなかった。まあ、写生文というかスケッチ的な描写力は、いけてるね・・・・くらいの感じだったか・・・・・

 今回、読み直してみて、色々発見があり、驚かされることばかりだった。まず、その短気でカッカしやすい
性格。(学生時代には、仲間と共謀して、単に気に食わないということで下級生にリンチを加えている。)
成人していい歳をした、せがれをこどもあつかいする父親との絶交状態。周囲との険悪な雰囲気が、でき
てくると転居していく放浪癖、比較的若いころから、父親のスネかじりで遊びまわっていたことなどなど。
 とても、これまで思い描いてきた直哉像とは、相いれない要素ばかりだった。こんなことだから、その文才
の高さに反して“文豪”などと呼ばれることがなかったのだろうか?

 しかし、それにしても、何気ない文章の展開に、深い余韻を残さずにはおかない筆致には、ただただ
驚くばかりである。これまで、幾多の近現代の大作家の作品を読んできたけど、ケチのつけようのなさ、
ではナンバーワンだったと思う。短編10編以上、中篇2作で、あきらかな作文用法ミス(文法ミスでは
なく、本来別の表現が明らかに適当というレベル)は1か所しかなかった。
 しかしながら、志賀に世に送り出してもらった関係で、師弟関係と言ってもよい、阿川弘之御大(阿川
佐和子さんの父上の大作家)の解説・批評にあるように、志賀直哉は、「思うように書く」、つまり読者を
振り返らず、せっせと書き進んでいくスタイルで、すでに作中の表現が、研究者でさえ、なんのことを言っ
ているかわかならいというのも、まことに嘆息ものである。

 これまで読んだ、史上評判の高い作品で劇中劇みたいな、小説のなかに、小説を書く自分自身を
描いた作家は、寡聞ながらただひとりもいなかった。ところが、直哉は頻繁にやるのである。「和解」
しかり、「大津」も若干ある。「山科の記憶」「痴情」「瑣事」「晩秋」の一連4作連作の短編などは、なんの
てらいもなく、前作では妻のことを書いて批難を浴びてしまって・・・・などと言いながら、また性懲りも
なく書きすすめていくのなどは、大笑いしてしまった。直哉は、小説を書いてるのか、エッセーを書いて
いるのか、日記を書いてるのか、どういうつもりか?と聞いてみたくなる。もちろん、当人はおおまじめに
小説を書くつもりで、こんなプライベートなちょっとみっともない事情まで載せてしまっているのだから、
確信犯なのである。ふつうこういう話を織り込んでしまったら、とても聞いていられない作になってしまう
ものだが、直哉はうまく読者を笑わせながら惹きつけてしまっているところが、やはり天才なんだろう。
 文庫には、なぜか「瑣事」「山科」「痴情」「晩秋」の順に掲載されているものだから、「瑣事」を読んだ
段階では、なんだこれは!ぜんぜん、意味が通らないじゃないか!と何度読み返しても思ったものだ。
 巻末の解説を見て、はじめて要領を得ることができた。しかし、それにしても直哉は、言葉足らずの
文章をきわめて印象的に散りばめることが多くて、かなり読みこまないと、なにを言ってるのかわからない
ところが、ままある。だからこそ、妙に心に残る作と言えるのかもしれないが、きっと、そんなことは、おか
まいなく適当に「思うがまま」書いていたんだろう・・・・・
 それは狙ったものではなく、ほとばしり出たものだろう、多分。

 芥川が、師漱石に、「わたしにはこんなのは書けません」と言ったそうだが、漱石も、「わたしにも、
書けないよ。」と返したそうである。 

 それが、志賀直哉の天才の天才たる、ゆえんかもしれない。とにかく、この作家の作を評しようとすると
言葉や概念が追いつかなくて困る気がするくらいだ。ただし、くれぐれも言うが、全部が全部、優等生
的・・・などと言うのではなく、どちらかと言えば、まったくその軌道にはないのに、妙にすぐれた作で
ある、というのが正直なところだろう。また、直哉解釈では、阿川さんが、やはり変に持ち上げづ、公平
な観点から解釈を入れていて、これがすばらしいという印象だった。(『志賀直哉の芸術と生活』『作品
解説』)志賀直哉の作は、後で阿川さんの解説を読むことで完結する、と思った。

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