2010年3月15日月曜日

【文学論】志賀直哉という伝説の作家について

 最近、志賀直哉を読み直している。集中的に読み直している。代表作は全部網羅するつもりだ。もう、
「和解」も「大津順吉」も「城の崎にて」も「小僧の神様」も読了した。この作家は、教科書に出ているから
学生時代から読んできたが、正直言って、どこがいいのか全然わからなかった。写真でみる肖像から
きっと好好爺のいい、ひひじーさんなんだろうと思ってきた。小説の神様とも言われるが、さほどのこととも
思わなかった。まあ、写生文というかスケッチ的な描写力は、いけてるね・・・・くらいの感じだったか・・・・・

 今回、読み直してみて、色々発見があり、驚かされることばかりだった。まず、その短気でカッカしやすい
性格。(学生時代には、仲間と共謀して、単に気に食わないということで下級生にリンチを加えている。)
成人していい歳をした、せがれをこどもあつかいする父親との絶交状態。周囲との険悪な雰囲気が、でき
てくると転居していく放浪癖、比較的若いころから、父親のスネかじりで遊びまわっていたことなどなど。
 とても、これまで思い描いてきた直哉像とは、相いれない要素ばかりだった。こんなことだから、その文才
の高さに反して“文豪”などと呼ばれることがなかったのだろうか?

 しかし、それにしても、何気ない文章の展開に、深い余韻を残さずにはおかない筆致には、ただただ
驚くばかりである。これまで、幾多の近現代の大作家の作品を読んできたけど、ケチのつけようのなさ、
ではナンバーワンだったと思う。短編10編以上、中篇2作で、あきらかな作文用法ミス(文法ミスでは
なく、本来別の表現が明らかに適当というレベル)は1か所しかなかった。
 しかしながら、志賀に世に送り出してもらった関係で、師弟関係と言ってもよい、阿川弘之御大(阿川
佐和子さんの父上の大作家)の解説・批評にあるように、志賀直哉は、「思うように書く」、つまり読者を
振り返らず、せっせと書き進んでいくスタイルで、すでに作中の表現が、研究者でさえ、なんのことを言っ
ているかわかならいというのも、まことに嘆息ものである。

 これまで読んだ、史上評判の高い作品で劇中劇みたいな、小説のなかに、小説を書く自分自身を
描いた作家は、寡聞ながらただひとりもいなかった。ところが、直哉は頻繁にやるのである。「和解」
しかり、「大津」も若干ある。「山科の記憶」「痴情」「瑣事」「晩秋」の一連4作連作の短編などは、なんの
てらいもなく、前作では妻のことを書いて批難を浴びてしまって・・・・などと言いながら、また性懲りも
なく書きすすめていくのなどは、大笑いしてしまった。直哉は、小説を書いてるのか、エッセーを書いて
いるのか、日記を書いてるのか、どういうつもりか?と聞いてみたくなる。もちろん、当人はおおまじめに
小説を書くつもりで、こんなプライベートなちょっとみっともない事情まで載せてしまっているのだから、
確信犯なのである。ふつうこういう話を織り込んでしまったら、とても聞いていられない作になってしまう
ものだが、直哉はうまく読者を笑わせながら惹きつけてしまっているところが、やはり天才なんだろう。
 文庫には、なぜか「瑣事」「山科」「痴情」「晩秋」の順に掲載されているものだから、「瑣事」を読んだ
段階では、なんだこれは!ぜんぜん、意味が通らないじゃないか!と何度読み返しても思ったものだ。
 巻末の解説を見て、はじめて要領を得ることができた。しかし、それにしても直哉は、言葉足らずの
文章をきわめて印象的に散りばめることが多くて、かなり読みこまないと、なにを言ってるのかわからない
ところが、ままある。だからこそ、妙に心に残る作と言えるのかもしれないが、きっと、そんなことは、おか
まいなく適当に「思うがまま」書いていたんだろう・・・・・
 それは狙ったものではなく、ほとばしり出たものだろう、多分。

 芥川が、師漱石に、「わたしにはこんなのは書けません」と言ったそうだが、漱石も、「わたしにも、
書けないよ。」と返したそうである。 

 それが、志賀直哉の天才の天才たる、ゆえんかもしれない。とにかく、この作家の作を評しようとすると
言葉や概念が追いつかなくて困る気がするくらいだ。ただし、くれぐれも言うが、全部が全部、優等生
的・・・などと言うのではなく、どちらかと言えば、まったくその軌道にはないのに、妙にすぐれた作で
ある、というのが正直なところだろう。また、直哉解釈では、阿川さんが、やはり変に持ち上げづ、公平
な観点から解釈を入れていて、これがすばらしいという印象だった。(『志賀直哉の芸術と生活』『作品
解説』)志賀直哉の作は、後で阿川さんの解説を読むことで完結する、と思った。

2010年3月14日日曜日

【雑噺】ジャイアント馬場の身長は、本当は、2m26?!

 ときどきヤフー経由で米国サイトへ行ってみる。日本の数倍くらいの速さでアップデートが行われるし、
コンテンツの量から質から先進性から、ドッグイヤーで5年くらい先を行ってる感じがする。というか、この
数年、日本のウェッブサイトのコンテンツは、マンネリ気味だ。地方のウェッブサイトやTV放送局のサイト
(同じメディアとしては、ネットはライバル関係もしくは、敵対関係になる)など、申し訳程度のコンテンツし
かないとことか、全然何年もアップしてないのが、けっこう目につく。やっぱり、ネットユーザーになる前
から思ってたけど、日本という国、あるいは国民としての日本人にはバーチャル空間(3次元の空間認識
を否定しながらも、リアルワールドにリンクは、している、わけのわかんない仮想領域)とか、情報(目に見
えない価値)は、最終的にツールとして使いこなすのが、難しいというか、性に合わないんだろう。


 せいぜいゲームか、オークション通販くらい、あるいは携帯使ったツイッターくらいか。
 2000年、今から10年前、IT業界の市場予測では、10年後には国民の大半がネット社会へ突入、なん
て話がまかり通っていたが、あらゆるほとんどの情報のやりとりがデジタル化されるということもなく、今日を
迎えている。ウェッブ上のコンテンツは、おそらくこの3~5年は、大して変わり映えしていない気がする。
急速なドッグイヤー成長をなおも続けているのは、メモリやCPUとかの電子デバイス機能などハード面
ばかり・・・・少なくとも日本においては、そう見えてしかたない。

 さて、標題の件であるが、米国ウェッブサイトのWikiに、なんと、こう載っていた。
ちなみに去年見た時は、最初、Height:6フィート10インチ(210cm)、しばらくたって見ると、BilIed
Height(いわゆる“公称”にあたる)6フィート10インチ(210cm)、それが、ついこのあいだ見たら、
BilIed Height:7フィート5インチ(226cm)となっていた・・・・・・
 いったい、誰がこんなのWikiに書き込んだのか、責任とれよ!って言っておこう。日本人じゃないこと
を願うが・・・・・・

 馬場さん、そういや、203cm説と209cm説が、あるが、どっちがほんとだろう。
下の写真は、故三沢三晴の媒酌人を務めたときの写真らしい。三沢選手、公称185cm、実寸181~
182cm前後として、どのくらいに見えるかなあ?

 馬場さんが、実はシークレットインソールか底上げ靴をはいていたとしたら、けっこうわらえる・・・・・

     【ただし、故人おふたりに対し、不謹慎の段はご容赦を・・・・・・・・】

Shohei Baba
Ring name(s)Giant Baba
Shohei Baba
Big Baba
Baba The Giant
Great Baba
Ishope Baba
Babyface Baba
Giant Zebra
Billed height7 ft 5 in (2.26 m)
Billed weight330 lb (150 kg; 24 st)
BornJanuary 23, 1938
Sanjo, Niigata, Japan
DiedJanuary 31, 1999 (aged 61)
Trained byRikidōzan
Great Togo
Fred Atkins
DebutSeptember 30, 1960

2010年3月12日金曜日

京都に原爆が落ちなかったのは、なぜか?&日本人のめでたい傾向

 ときどき日本人は、なんてお目出度いんだろうと思う。自分のまわりでは、あたかも定説みたいに
なっていたりして、つい最近まで信じ込んでいたけど・・・・なんて経験はないだろうか?
 どうも日本人っていうのは、自分が感じたいように感じ、考えたいように考え、受け止めたいように
受け止めるって傾向が、強すぎるようで、考えものだと思う。なぜかと言えば、事実を把握する上での
分析力が、そがれてしまうからである。加えて、ややもすれば大勢多数が同じ考え、同じ受け止め方を
しているのであれば、すぐ安心して、それこそ正しく、客観的な正解なのだと、考えがちだ。
要するに日本人は、なにが正確で正しく正解なのかではなく、周囲の多数見解こそが、重要な結論なの
である。
 こういう民族的傾向は、多くの誤りや失敗を生んできては、いないだろうか?

 最近、トヨタ問題や沖縄普天間基地移設問題、経済景気浮揚対策などの報道を見ていると、感じる
ことがある。たとえば、記載漏れ献金問題や家族資金問題で、幹事長辞職を迫る世論が強まったり
責任を問う声が大きくなったりということ。べつに、民主党を擁護しようと言うわけじゃないが、もっと情
報を集めて分析して、判断してからでも遅くはないのではないか?

 先日、頭の回転が速いと評判のハーフ元アナウンサー不倫タレントが、「日本は、観光立国をめざした
方がいい」「京都を空襲しなかったのは、外国が(米国のことらしい)京都の文化財を守ったから」みたい
なことを平然と公共の電波で言っていた。そう言えば、ずっと昔から、そういう話はある。少し調べて
みた。事実は、かなり違う。ちなみにネットの質問箱でも、ほとんど同じ間違いをしている。
 中には、こんな笑止千万なのもある・・・・・・・というか、巷間、これが定説か?

『ただ、原爆投下の目標から外されたという話は事実。
当時、その碁盤の目のような区画・広い盆地地形から京都が原爆の威力を計る投下地点として第一
候補にあがっていた。だけど、古くは日本の首都であり多くの文化財が存在する京都に原爆を投下す
ることは、日本人から恨みを買い戦後の統治において障害となると判断され、全ての爆弾の投下目標
から外された。』(教えて!GOOより)

ただし、こんなのもあった。

えーと多分「京都への原爆投下を」米軍上位の誰か(陸軍長官だったような・・・)が反対してそれが通
った、という事実が、曲解して伝わったのだと思われます。(同じく、教えて!GOOより)

 7つ寄せられていた解答のひとつ。他は、何行にもわたって書かれているが、これは1行ほど、しかも
解答というよりは、さわり程度だったが・・・・

 ちょうど米国国立公文書館文書を検証した研究者の本が出ていた。読んでみた。意外だった。科学
者側は、大乗り気で京都に原爆を落とせ、落とせと再三積極的に働きかけたそうである(部内抵抗
なし)。戦略航空隊総司令官、大賛成。米国陸軍トップ(制服組)、積極的賛成、ところが、最後の最高
意思決定権を持つ陸軍長官ただひとりが、「No」と、最後まで折れなかった。そのおかげで、京都の
原爆投下も大がかりな空爆も避けられたというのが、事実とのこと。

 この人物は、べつに人道的配慮からでもなく、新潟ならOKとGOサインを出していたようだが・・・・・
 日本の京都の古代から中世にかけての芸術に造詣が深い教養人だったのが幸いした。大規模
な作戦プランは、この3者がGOサインを出さないと実行されなかったようだ。独断専行を旨とした日本
陸軍とはえらい違いである。
 べつにアメリカ人の多くが、京都の文化を救おうと思ったわけではない、ということ、それに世界的
な科学者が、やれやれ!とけしかけたことを多くの日本人は、知らず、今日でさえ、さっきのような
目出度い考えを終始一貫、持ち続けているのか・・・・・・

 そうえいば、似たような指摘が坂口安吾によってなされている。本能時の変についての日本側の事件
報告とフロイスの属するイエズス教会からの報告内容とのちがいについての検証である。「堕落論」を
収めた文庫に入っていると思った。

*周囲の在外体験のある複数から、中国人、韓国人、台湾人、香港人は、この傾向はもっとひどい。
西洋人に比べれば、いまいちかもしれないが、日本人はまだまし・・・・・と聞かれたが・・・・そう言えば、
そんな気もしはしまいか?

2010年3月10日水曜日

古今東西、美人、美人姉妹・・・・・・

 フランス人には、美人が多い。現大統領夫人のカーラ・ブルーニも実に美しい。サルコジもうまくやった
ものだ。カーラさんは、イタリア系貴族の血を引くとかで、姉妹そろってとびきりの美人だとか。やっぱり
美人は、血統か? 
 ただ、オヤジの血統から来ていても、考えると薄気味悪い気もするが・・・・

 以前、朝よく乗っていたJR線の駅で、毎日見かける、周囲がまぶしくなるほどの美しい女性がいた。
ときどきは、休日や夕方も見かけた。
 ある時からは、妹といっしょに駅に来るようになった。妹は、元はいいのだろうが、それほどでもなかった。
姉妹同じ駅だから、ついでに、というわけなのか、母親が車で駅に送ってくるようになった。それを見て
驚いた。 ちょっと絶世の娘からは、想像もつかないような垢ぬけない小柄そうな老けた、ばあさん
みたいな感じ。驚いた。あの女性は、母親似じゃなさそうだ。てことは、オヤジが・・・・・・・・あんな感じな
のか??

 美人と言っても、半分は男の遺伝子から成立してるわけで、男どもは、その点冷静にならなきゃいかん
とは思うけど、実際目の前に現れてしまうと、そんなこと吹っ飛んでしまうのが男の性(サガ)らしい・・・・

フランスでナンバー1美人と言われてるのは、この人らしい。
ソフィー・マルソーも美しかったが、もう40代だろうか・・・・・・・・

【レティシア・カスタ】

 

父親が、コルシカ出身なので、イタリア系の血も入っているかもしれない。
コルシカといえば、ナポレオンだ。ナポレオンの妹たちが、いずれも当時ヨーロッパ随一の美人ぞろい
とも言われたらしいが、コルシカ島って美人の産地なのだろうか。

(あくまで個人的な)春の旅立ち(注:人が読むには価せず)

 昨日からすごい雪(雪国なら全然たいしたことないだろうけど)になった。でも、気温があるせいか
さほど不便があるわけじゃない。道路は普通に走れるし。しかし、もうそろそろ4月なんじゃない?
 地球温暖化も、どこの騒ぎって感じだなあ。昨日は、1日で千変万化の気象がおもしろかった。
明け方の曇りから、一時的に晴れ、しかし1時間と続かず、曇りだし、昼にはみぞれ模様。午後はみぞれ雪
みたいになり、それからみぞれへと変わり、夕方に近づくころからまたみぞれ雪になり、日没から雪になり、
夜半は、ぼた雪、そして深夜は雨雪?みたいな感じで・・・・・・
 こうめまぐるしく変わる一日というのは、あまり経験したことがない。

 2月は、これでもかというくらいに晴天が続いた。このまま季節が変わるのかと思った。しかし、3月になっ
たら、ほとんど雨か曇りの毎日である。昔から、いつまでも続く雨ふりはない、と言うが、この場合、いつ
までも続く晴れはない、と言うべきかもしれない。

 年末に、一大決心をして、毎日掃除することを1年の目標にしたのだが、結局、今年になって1度も、
できていない。ここらで巻き返しを図ろうかと思う。今なら、まだ新しい年の一念発起に、遅すぎることは、
ないだろう。ここらで踏ん張らないと、また同じ1年になってしまう。今年を生かすもだめにするのも、この
時期くらいが正念場ではないだろうか。3月が終わると、1年の1/4が終わったことになる。ほんとうに
早いものだ。なんか、今年こそ飛躍を、と思っていたのに、また同じ1年になりかけている。

 いろんなことを試さねばならない。この1年半をムダにはできないし。ムダにしたくもない。もうそろそろ、
また動く時が来たようだ。どんな動き方にせよ、これまでの分を取り戻していこうと思っている。仕事で
で憔悴しきってしまった体力気力を引きづってきた。それも、もう昨日までのことのように感じようと思う。
 まずは、精進、精進だ。そして、まずひとつ、ひとつだけ、手にとること・・・・・それから始まっていくかも
しれない。
 案外、大きな課題というか、その解決法というか、そういうものは、ごく身近のすぐそこに、ころがって
いるものだと思う。
 精進は、かっこいいことではない。地道で骨が折れ、はじめは苦しいこと辛いことばかりだろう。でも、
それがいつか、次第に軽くなり、楽になり、ついには結果として実として結ぶと信じよう。本当は、精進な
んか、したくないけど・・・・しかたなくでも、なんでもなく、どんなに薄暗かろうが、気が進まなかろうが、
不健康的だろうが、一時の不幸を受け入れてでも・・・・・・・・・・・・と。


       春に寄せるソネットとして

まだ寒い冬色の空には、無数の思いがひろがっている
でも思いは、なかなか夢にとどかない
とどかないから、夢は旅立ちになる     
人それぞれの旅立ちの春があるだろう
新しい息吹の季節
でも新しい息吹は、待っていても生まれてこない
なにか始めようとしたとき、息吹は生まれる
はじめは、かすかな吐息にすぎないかもしれないけれど・・・・・
それは、確実な新生の萌芽
生まれたばかりの萌芽を灯していようずっと
灯を消してはいけない
灯は命
灯が消えたとき、命は死ぬだろう
二度とふたたび、おなじ息吹を持たないだろう


精進に向かう人々に、苦多かれども幸あらんことを願わずにいられない。
 

2010年3月8日月曜日

ツイッターって、どうやるんだろう・・・・・・・・・???

 先週、とうとうアカウント設定を果たしたこれ。あやうく、超有名人のツイッターに割り込み書き込みを
しそうになってしまった。しかし、いったい、どう使うのか??今のところ、正直よくわからない。
 WiKiも読んでみたけど、なおさらわからない。
ブログとチャットの中間?ますます、わからない・・・・チャットってやったことないし。
 まあ、ぼちぼちやるさ・・・・・・・・・・・

 そういや、なぜか知らないが、いつのまにか2chに書き込めなくなってた。制限付きで。
高速(ほんとは鈍速)データカードモバイル通信端末だけ差別する気かよ・・・・・


坂口安吾の世界とは・・・・・(文学論)

 坂口安吾ほど、底知れない見識と得体の知れない奥深さを感じさせる作家は滅多にいない。この人は、
戦後、白樺派などに代表される日本文学草創期から戦前までのあいだに一大潮流となった、私小説的
な心情吐露傾向を嫌い、戯作性豊かな文章を追求した無頼派のひとりである。太宰治、石川淳、伊藤整、
田中英光、壇一雄などが無頼派作家である。カンタンに言えば、あいつらお高くとまって、てめえのプラ
イベートな話をネタにかっこばっかりの小説書いて、ありもしねえ理想ばっかり言いやがって・・・・・
という気概に貫かれていたような傾向にある。加えて、おれたちこそ、新しい時代の旗手であり、戦後の
日本は(戦前から無頼派はあるが)おれたちこそ、主役だ、他は古い、古い・・・・・というニュアンスも多分
にあったことだろう。

 21世紀を迎えた今日では、無頼派でさえ半ば古典的扱いをされるような状況であり、反自然主義文学
、白樺派などとの対立軸での存在価値は薄れてしまっている。言いかえれば、いずれも時間軸を基準に
しての新旧という意味では、まったく意味をなさないと言っても過言ではないだろう。
 そんな現在の状況の中では、反自然主義だ、無頼派だと言った文学理念など、まったく区分の必要
はないと言っても過言ではないわけで、その文学性、作品性そのものの価値がどれだけあるか否かに
よって計られるべきであろうと考える。
 
 と、坂口安吾の話にもどろう。安吾の「堕落論」は有名だ。「白痴」も名高い。ただ、前者はエッセー、
後者は短編小説である。この作者に長編はない。60歳代以上の人たちには、かなり偏見を持って見ら
れているような気がしている。その昔、一時代を画した、時代の寵児だった(らしい)。
 幸か不幸か、安吾の全盛期を知らない。知らないから、作品性そのもので見られる。前後、都合両手
にあまる数のエッセー、短編を読んでみた。
 堕落論をはじめとするエッセーの日本文化における偽善性の抽出(本物の日本文化・歴史観は別に
あると言っている)は、誰でも一度は読んでみたらいい、傑作であると思った。安吾のするどい見識の
前では、なにもかも一刀両断されるようで、胸のすく感じがする。最近、こういう見識を持った人は、見ら
れなくなってしまった。
 初期の短編もいい。エロい、グロい話が、実に美しく描写されていく。あまり、こう言われることはないが
、安吾の文体は純文学の一流作家並みに清澄で美しい。その点では、安吾が批判した近代文学の
作家にひけをまったくとっていない。こういう文体で作品を書いている作家は、ちかごろではいない。

 ただし、某著名批評家が安吾の傑作のひとつとして挙げる、「青鬼の褌を洗う女」あたりから、おかしく
なってくる。どうも原稿料を稼ぐような妙な書き方や、日常生活の乱れから来る(経済的に恵まれてから)
文体の変化が見られる気がするのである。時代の寵児になるまでは、真摯な態度で文学や文化論や
哲学に取り組んでいたが、恵まれてからはどうも、それまでの姿勢は失われた気がしてならない。
 「青鬼」では、原稿枚数で稼ごうと思ったものの、材料に行き詰まってしまい、主人公の女性の幼友達
で力士になっている男を途中からいきなり登場させ、その力士との色事をスジに持ち出し、大相撲の話
をこれでもか、というくらいに何ページにもわたって書きまくっていくのに至っては、呆れるばかり。
 いくら戯作性の追求を目指したと言われる無頼派でも、これはやりすぎである。おそらくは、原稿執筆
中に、TV観戦していた、趣味の相撲を手っ取り早く、次から次へと書いてしまったのだろう。暴挙である。
作家の暴挙としかいいようがない。 この作を、すばらしい一作として挙げている、NHK教育テレビなど
にも登場する、著名な批評家が、千夜千冊とかいうサイトがあるのだが、一気に信用する気がなくなって
しまった。美術観や芸術観には、一家言のあるオーソリティーであり、得るところ多いのだが、文学観だ
けは、他の作品の批評も加え、今一つのような気がする。だいたい、1日1冊では、流し読みしかできな
いだろう。

 上っ面をサーッと目を通しただけで、深いところまで読み込める作品など、名作に存在しない。名作
を生んだ作家の別の作品を比較対照するのだって、無理だ。だいたい、読み手より、はるかに上の頭脳
から生み出されたから、ずっと作品として残り、生きているのではないだろうか。

2010年3月5日金曜日

Yahooニュース担当者よ、しっかりしろ!&これ内紛じゃないの?富士通のゴタゴタ

 しかし、おっちょこちょいってのはいるものだ。他人の記事をコピペして検証もしてないからこんな記事
を平気で自社のサイトに堂々と載せてしまうのだ。近頃のネット媒体を扱ってる連中は、何をやってるんだろうか・・・・
 
 以下の記事は、Yahoo ニュースにあったものだけど、<6702.T>ってなんのことか、わかるだろう
か?新しくできた、変な名前の富士通の子会社?
 いや、上場株式の銘柄特定ナンバーなのである。なぜ、一般記事にこんな記載がされたかと言えば、
(下記の)ロイターの元記事に、そう記載があるからなのだが、ロイター紙は、その画面自体が、株価、
ニュース、トピックスへと連動して切り替わる、経済人や株式投資家向けのコンテンツ構成になっている
から。それを知ってか知らずか、そのまま掲載したYahooニュース担当者ってのは、いったいどういう
知識、見識を持ってるんだろう?

 ほーんと、お粗末だね、と思わずにいられなかった。
だいたい記事をチェックするキャップもしくはデスククラスは、いないのか?

・・・・・Yahooニュースさんよ、ガンバッテくれ!・・・・・・

 と、今度は内容の富士通の話に移る・・・・・・

 これは、完全に内紛だろうね。いざこざの形跡大。間塚会長が、山本常務と組んで野副社長の追い落
としを図ったんだろう。でなけりゃ、わざわざ、メディアに情報提供しないよ、こんな話。すごく恥ずかしい
話だもの。わかる人が、読めば、どういうことか起きてるか、すぐ見当がつく話だし。

 富士通さんてのも、けっこうドス黒い闇みたいなところが、あるのかなあ・・・・・・

木村拓哉使って、イメージアップ考えても、これじゃあ水の泡じゃないか・・・・・・・
 
【お粗末なYahooニュースの記事】
[東京 5日 ロイター] 昨年9月に富士通<6702.T>社長を辞任した野副州旦氏が、社長辞任の取
り消しを求める文書を富士通側に提出していたことがわかった。同社の広報担当者が5日、ロイターの
取材に答えた。
 富士通は昨年9月25日、野副氏が病気療養を理由に社長辞任を申し出たと発表。会長だった間塚
道義氏が社長を兼務した。同社は今年1月下旬、山本正己執行役員常務が4月1日付で社長に就任
し、間塚氏が会長専任に戻る首脳人事を発表した。
 富士通の広報担当者はロイターに対し「社長辞任取り消しを求める文書を受け取ったのは事実だ
が、中身はコメントできない。現在、内容を精査しており、今後の対応については検討中」と答えた。

【ロイター日本版の元記事】
 [東京 22日 ロイター] 富士通(6702.T: 株価, ニュース, レポート)は22日、山本正己執行役員常務(56)が次期社長に昇格する人事を決定したと発表した。4月1日付で執行役員社長として就任し、6月の株主総会後に代表取締役社長になる見通し。野副州旦・前社長の辞任で間塚道義会長が兼任していた社長ポストが決定し、間塚氏は4月1日付で会長専任に戻る。山本氏を補佐する5人の副社長も同時に決定した。

 山本氏は22日付で副社長に一時的に就任。同社は、22日午前の取締役会で、指名委員会の提案を受け、社長ほか5人の副社長人事を決定した。5人は4月1日付で執行役員副社長に就任し、山本氏を補佐する。

 次期副社長5人は、リチャード・クリストウ氏(65)を除く4人が新任。クリストウ氏は引き続き海外担当副社長を務め、4人の新任副社長は、石田一雄・執行役員上席常務(59)がITサービス事業、藤田正美・執行役員常務(53)がコーポレート管理、佐相秀幸・執行役員常務(57)がシステムプロダクト事業、生貝健二・執行役員(58)がソリューション事業を、それぞれ担当する。

 昨年9月、野副前社長が病気療養を理由に突如辞任したことで、間塚会長が一時的に社長を兼任し、10月に設置した指名委員会で次期社長の選任作業が続いていた。間塚会長など3人の委員は指名委員会を4カ月で3回開催し、副社長、常務、執行役員の候補から、山本氏を選出したという。

 同日、記者会見した間塚会長は、山本氏を選出した理由について「今後の変化を受け入れる柔軟性と決めたことをやり遂げる行動力。それと56歳という若さにある」と述べ、5人の副社長を含む新しい執行体制が間塚氏とクリストウ氏を除くすべてが50歳代であることを強調した。

  <パソコン・携帯などハードウェア出身>

 

 山本氏は1976年に富士通に入社。日本語ワープロ「オアシス」の開発やモバイルPC事業部長などを務めた後、2005年から経営執行役としてパーソナルビジネス本部長、2007年から経営執行役常務としてユビキタスプロダクトビジネスグループ長、システムプロダクトビジネスグループ長などを歴任し、パソコン、携帯電話、サーバ、ストレージなどハードウエアの開発を手がけてきた。

 同日、都内の本社で記者会見した山本氏は「歴代社長の構造改革で、富士通は強い会社になったと思うが、今後はグローバルIT企業になることが課題」とし、海外展開を加速する構えを示した。すでに富士通は「クラウドコンピューティング」などITサービス分野に事業を強化する方針を示している。一方で、山本氏は携帯電話やパソコンなどハードウエア畑の出身の社長となる。山本氏は「これからはクラウドをベースにした新しい付加価値の創造がテーマになるが、携帯やパソコンは、富士通が得意な分野で今後も注力する」と述べた。

 富士通は、昨年7月に20092011年度の中期経営計画を策定し、12年3月期に営業利益2500億円の過去最高益を目指す方針を示している。山本氏は中期計画の方針を継続する姿勢を示した。今後の構造改革については「歴代社長が取り組んできたことで事業の整理整頓はかなり進んだと思うが、4月までに中身を勉強して検討したい」と述べた。ただ、半導体事業については「富士通にとって重要なポジションなので、今のところは継続するつもりでいる」と語った。

 (ロイター日本語ニュース 村井 令二)


4月1日付で富士通社長に就任する山本正己副社長(右)と会長に就任する間塚道義会長兼社長。=1月22日

左が、間塚会長、右が山本副社長(現時点での役職)。一見、そんなことしそうに見えないけどなあ・・・


2010年3月4日木曜日

ずるい人間、悪行つくしたやつが出世してはいけない!ありえねー話・・・・

 勤めていると、多少なりともいやなやつというのはいるものだ。いいやつもいれば、いやなやつもいる。
学校でも同じ。しかし、職場となると看過しにくいことになる。なぜなら、拒否したり避けたり、ということが、
ほとんどできないからだ。そういう輩が、職場の中でパワーを持っていたりすると、やっかいなことになる。
 そういうやっかいが、そこらじゅうにあるのが、昨今の日本の職場だと思う。

 三井海上の来月4/1付け役員人事を見ていたら、取締役(ということは、重役経営陣)になるリストの
中にその昔、てめえの仕事を押し付けたいだけ押し付け、さんざんなじりたおし、干したいだけ干し、
挙句の果てに、いたるところで誹謗中傷のかぎりを吹聴され、へこまされるだけへこまされた、どうしようも
ないひと回りくらい上の歳の輩と同姓同名らしき名を見つけてしまった。

 まさか・・・・あいつが??
 プロパーじゃ、あるまいし・・・・・天下の三井海上が、直参でもない外様出身、それも威勢がいい
だけのマーチかそれ以下の運動部出身者をここまで重用することなんてあるのだろうか?
 
 ただ、名前の字ははっきりしないが、読みはたしか「ヤ○オ」だった気がするので、同じ気もするし。
もし、同一人だとしたら、こんなこと狂ってるとしか言いようがない・・・・
 その昔、今で言う、社内イジメ、パワハラのかぎりをつくした輩のひとりなのである。それとも三井に行っ
てから更生でもしたのか?
 私が許せないのは、この輩が無能だったということから来るのではない。むしろあらゆる面で才人だっ
たのに面倒くさがってイヤな仕事は、コンプライアンスもへったくれもなく若手に押し付け、責任を取らせ
ようとしたことだった・・・・・・

 もし同一人だとしたら、かの2chサイトにおいて過去、悪行の書き込みすら行っていた(それも親娘で)
形跡すらある。
 
 以前、特命次長というポストで人事異動リストに行きあたったので、ときどきウオッチしていたのだが・・・

 あんな輩が、一流企業で大出世するくらいなら、この世の中相当、おかしくなってしまったのだろう。
それとも思いすごしか?
 そうであってくれと思わずにはいられない。

 悪党が立身出世するなら、筋を通してまじめにがんばるやつが、世間からいなくなってしまう・・・・
かの輩だけではなかったが、エスタブリッシュメントと目される日本企業の中に同類が多く生息していた
のに嫌気がさし、二度と日本企業に勤めるか、と思って10年たつ。
まだとっといてあるはずの、昔の会社の職員名簿捜して確認してみるか・・・・・

【上記に記載の名称等は、かならずしも事実ではない可能性も否定しません、念のため。】
 

日々雑感・・・・・・

 なんで、日本人は写真に写る時、ちょきを出すんだろう・・・・・他に、全員が全員、どこでもかんでも、
ちょきを出す国の人がいるだろうか。
 こんな習慣をつけてしまうと、お通夜や葬式の時まで、ついやってしまったりして・・・・・・

 中小企業や中堅、大手などで、新卒採用ゼロが4割近くとか・・・・
数字だけ見ると、確かに悲惨だけれども、すべての企業が毎年、予定数の新卒を採用しているわけでは
ないし、応募可能枠の総数とかならずしも連動してないから、4割の新卒者が就職できないわけではない。
 幸か不幸か、もうほとんど米国型の就業機会環境に近づきつつある現実から、これからは、これまでの
就職就社という考え方は、やめたほうがいいと思う。新卒者の1/3が、入社3年以内で退社している現実
をもっとドライに考えるべきだ。
 今後は、職業意識を賃金獲得手段としてもっとドライにとらえるようなパースペクティブが個人にも企業
にも社会にも、国にも求められるようになるべきだ。たとえば、同一労働同一賃金制など、あるいは、
産業構造の転換などだ。
 言いいかえれば、アルバイトパートの時間給を欧米なみに、あるいは正社員なみに増やしてあげる
トレンドが必要。あるいは、今後成長が望まれる環境ビジネス、新エネルギービジネス、市場への
供給が不足している、農林業、介護福祉分野、外食サービスなどに既存の企業あるいは新規参入しよ
うとする法人が、ビジネスモデルを構築しやすいインフラ整備が必要ではないかと思う。
 たぶん、今はその過渡期に位置してるんだろうという気がする。

 なにも、むかしの価値基準で就職など考えずに、とりあえずパート・アルバイトでもやりながら、自分が
一番取り組みたい分野を見つけてからでもいいのではないだろうか?
 しかし、そのためには、今のバイトパートの時間給を欧米なみの2500円前後に引き上げるような社会
環境の変化も期待したいところだが・・・・

 一般に日本のサービス業は、効率が悪いなどとステレオタイプに物言いされることがあるが、その一番
の原因は、サービス業就労者の賃金が、多くのパーセンテージを占める非正規雇用労働者により、
抑制されているからにほかならない。彼らの低報酬によって、廉価で質の良いサービスが、ふんだんに
供給されて、その恩恵に市民があづかっている。
 人件費のめっぽう高い、ヨーロッパアメリカと比べれば、簡単にわかることだ。
 最近TVに頻繁に登場する、勝間和代さんは、後輩にあたるが、そういうところが見えていない。
学校秀才、机上エリートの陥りやすいクセである気がする。
 あまり、発信力の強力な人の発言を鵜呑みにしてしまうと、あとでまちがってしまったことに気づくことに
なる。


2010年3月2日火曜日

都心は、がらがらの土曜日の夜&あやしげな外人美人・・・・・・・

 土曜日の夜に、小岩の知り合いのところに行って酒飲んできた。いやあ、小岩相変わらずだなあ。
呼び込み禁止になってるはずなのに、けっこう平気で呼び込んでくる。

 お姉さんたちも歌舞伎町に引けをとらないくらいのレベル。でも、気をつけてみると、中国なまりのある
ホステスなんかが、にっこり語りかけてくる。あー中国の人なんだ、とそこでわかる。ちょっと昔は、一見して
韓国、中国の女性はわかったけど、最近は区別がつきにくい。近代化したせいか、ものすごいスタイル
抜群のホステスなんかもいて。ただ、やっぱり鼻の高さが、日本人より低い人が目立つようだ。それと色白。
韓国、中国ホステスで目鼻立ちするどく美しく、色白の肌なんてのはまずいない。アジア系では、日本人
くらい。昔の日本人なんかも鼻の低いのばかりだったけど、どういうわけか、整形もしてないのに鼻の高い
人が増えてきた。韓国中国では、こういった近代的な顔立ちは、名家の系統の血筋くらいしか生まれてこ
ず、だいたいが整形に走ることになるのだろう。そういえば、ドイツの参謀本部の歴史を書いた、渡部昇一
さんの新書に、ヨーロッパでも庶民、農民系統の顔つきと貴族・ブルジョア階級の顔つきは、もう生まれた
ときから全然異なるみたいなことが書いてあった。そして、過去の将軍のポートレートが載っていて、比較
してみると、やっぱり全然違うのであった。別にヨーロッパ人みんなが、いい顔をしているわけではないのだ。
ただし、容貌が優れているからと言って、能力が優れているとはかぎらず、むしろその逆の例が、目
立つようで、業績が後世、高く評価されている人物に限って庶民顔だったりする。これは、もちろんずっ
と昔の話だから男性の話である。が、人間のDNAなんて数世紀で変わるわけないんだから、現代でも
もしかしたら、あてはまるんじゃなかろうか。それに女性でも・・・

 個人的には、女性は、内面が外(容姿)に出るもんだと思っている。でも、あくまで女性として見た場合
だけかもしれない。人間として能力を発揮できるか否かとなれば、別の話で、どうやらそれほどでもない
容貌の女性こそが、優れた社会的、歴史的(ちょっと大げさか)な仕事をするのかもしれない。

 新宿から中央線快速に乗り、お茶の水で総武線に乗り換えて行く。たしかお茶の水から8駅もあった。
総武線快速というのに乗ると速いのだが、お茶の水には連絡していない。いやはや、小岩は遠いな。
 途中、ドアの戸口に立って、外を眺めていたら、寒い天気のぐずついた日だったせいもあるのだろうけ
ど、首都高が車は全然がらがら、下道もがらがら、アキバの通りも人が閑散としていて、これが土曜の夜
かと思うほどだった。
 なにか、世の中がものすごい勢いで変貌しているような気がするのだけど、気のせいなのだろうか。
丸の内から神田に歩いたときも、昔からあるようなビルなんかのぞいて、入居者表示なんか見てたら、
一等地のオフィスビルなのに、空室が、かなりある。バブル景気前後のころなんかと考えると、もう、
びっくりするくらいの変わりようだ。

 そういえば、駅前にすっごい外人かハーフの金髪美人がずっといて、人待ちでずっと近くにいたせい
か、ときどき、こっちをふりかえってきて、こころなしか秋波を送ってきたような気がしたんだが・・・・
 まさか、例の、まさか?あんなにおおっぴらに・・・・・・・
 でも正直、いい女だった・・・・・
 声かけたら良かったか?
 外人版、美人局だったりして・・・・・
 
 

2010年3月1日月曜日

おいおいこども社長かよ・・・

 あんなのアメリカ人に見せたくなかったなあと思うのは、豊田章夫社長の米国行脚のすがただ。
それでなくても、やたら小さくて不利なのに。公聴会の議場に入ってくるのに、頭が見えなかった。
 あんなのが、社長やってるの~!?ってアメリカ人は、腹で思ったろうと察している。

 アメリカでも、ヨーロッパでも、小男に才能あるやつなし、あるいは、小男に大物なし、小男にタフガイな
し、というのは、暗黙の常識になっている。だから国の指導者に小男などまずいない。小泉元首相と同じ
くらいしかなかったシュレーダー元ドイツ首相が、やたら国内で短身を馬鹿にされていた。しまいには、
どこかスキャンダルがあるんだろう・・・・と探られて失脚する始末。欧米では、男性の身長は、かなり重要
な能力計測ファクターになっているかもしれない、暗黙のうちに。

 身近なところでだが、いわゆるビジネスエリートとされる年俸が最低でも1億円はくだらない本国の
リーダーたちが来日したとき、一番小さいのが、うちの日本の代表で、たぶん英国生まれ(公表していな
かったが英国なまりがあった)の日本法人のCEOで40歳ちょっとで178cm前後(ハーバード法科大学
院卒)くらいで、あとは、40歳代ギリギリから50歳代までいたが、いずれも6フィート以上で、一番大きい
人で190cmくらいあった。
 ただ、どういうわけかわからないけど、別の機会に接した(と言ってもフォーラムに参加しただけだが)
欧米の政府関係者やその研究機関の年輩者は、日本人と変わらないくらいで170cm前後の人が多い
のには、その落差にびっくりしたが・・・
 ものすごいトップクラスの人は、勉強のしすぎで背がそれほど伸びず、一流でも2番手クラスはのびの
び育って大きいのかなあ・・・と思ったもんだけど。

 どうも、米国などでは、明らかにトップとしての素質を探る上でコンピテンシーモデルがあるようで、
長年トップになるべくしてなったような人たちを統計的に分析して、小男はペケということになってるらし
い。具体的には最低、5フィート10インチ(177cm)の白人平均身長を最低でも上回り、6フィート
(183cm)以上が望ましいというような長年の分析結果が出ているのではないだろうか。また、それらしき
資料を見た気もする。したがって、いくらアジア系が頑張って出世したところでリージョナルトップレベル
にはなれても、インターナショナルボードのトップには、なかなか奇跡でも起こらないかぎり、なれないと
いう経験則が成り立つ所以でもある。(もちろん資格要件を満たすのであれば、この限りではないのだろ
うが、まず該当者は滅多にいない)それは、上司たちを見ていた時期の経験でも一致している。

 チビなだけでも不利なのに、あの下手な高校生レベルの英語力(切ったら全然英語がわからなくなると
ころでブレスをしていた。)、おまけに公聴会ではなかったが、公の場で何度も泣きだす始末、どうやら
前から性格的にも子どもじみたところがあって、「子ども社長」と社内で揶揄されているようだけど、まさに
それを示してしまったと言ったら言い過ぎか・・・・・
 しかし、公聴会に呼ばれたからと言って、米国のユーザーには、引き取り、納車サービス、修理期間
中のレンタカータクシー代トヨタ持ちって言うのは、いかがなものだろうか?
 もっとも、修理はものの数分でできるという事情はあるのだと言うが・・・・・

 はたして日本でも同じサービスを提供するのだろうか?

 ずっと何十年も、古くは学生のころからトヨタ車に乗ってきた。今でも日本車はトヨタだけだ。
これだけは、言える。トヨタの車が完全無欠で最高に素晴らしいかと言えば・・・・・
それは、ちがう、過信だ。たしかに悪い車はほとんどないし、そこそこイケる車ばかりだ。
 しかし構成するパーツ、部品などは日本の他社(ホンダ三菱富士重を除く)と品質的に変わらない。
変わらないどころか、耐久性では、中古車で値崩れしてしまう日産車のほうが上のも、いくつもある。
 それをうまくきれいに作り、アフターサービスのソフト面(新車サービスと変わらない自社の中古車ユー
ザーに対するサービスなどが典型的)で世界中のどのメーカーもまねできない顧客満足度を成し遂げた
ことに優位性があると思う。それをいつのまにか、うちの品質は世界一と過信してしまったのかもしれな
い。


 だいたい、あの600万円も700万円もしたセルシオの2代目や3台目のなれの果てを見てほしい。
マルチビジョンだってまともに映らないのばっかりで、シートはへなって感じでやれて、見るかげもない。
あれをレストアしようって人はいるだろうか?本物の高級車なら、ああはならない。
 レクサスが、今目だって走ってるけど、やっぱり同じ運命だろうと言う気がしないでもない。

 欧米の超一流企業で、オーナー職はともかく、実務の経営者トップに同族出身者が就任するのなんて
最近聞いたことがない。いや、戦前くらいまでの話だろうか。もしかしたら19世紀までの話かもしれない。
 現代じゃAIGのグリーンバーグ家くらいか・・・・あれだって実務トップではなく、持ち株会社会長だった
のではないか?公聴会に呼ばれたAIGトップは、Mr.グリーンバーグじゃなかったと思った。
 だめだよ、いまどきおぼっちゃま君をトップにするなんて・・・・・

*ちなみにAIGは、欧米ではかなり変わった異端的な社風を持つと見られているユダヤ資本である。
 口には出さないが、ソロモンブラザーズ、ゴールドマンサックスなど同じユダヤ系資本と同一視されて
 いるのは、暗黙の了解事項だ。もしかしたら拝金主義という意味なのかもしれない。

愛子の涙にはじまり、真央の涙に終わったバンクーバー

 用事で新丸の内ビルから神田方面へ歩いていくと、神田神保町交差点角の一番目立つビルのてっぺん
の看板に上村愛子のたしかTBCの応援看板がそびえていた。あらためて、上村愛子への日本中の注目
を感じた。TVで何度も特集が組まれ、どれだけ努力も苦労もしてきたか伝えられた。たぶん、見た人全員が、
彼女の金メダルを願ったことだろう・・・・・
 昨シーズン世界ランキング1位、これはオリンピックも、もしかしたら・・・・という気にさせてくれたが、残念
ながら4位に終わってしまった。
 しかし、なんとさわやかな涙顔だろう。怒って悔しがるわけでもなく、非嘆にくれるわけでもなく、まるで
普通の顔のまんまで、いっぱいの涙に顔が濡れていたのが、美しかったと思う。

 残念ながら、リアルタイムで見ることはできなかった、女子フィギュア決勝。帰宅時に、西武新宿駅のキオ
スクの店先に同じものが、何枚も垂れ下がっていたニュース速報ビラで「銀」を知った。
 家に帰ってから、ふたりのフリーの全部を見せてくれる番組を探したが、真央ちゃんのは見られたが、
とうとうキムヨナのフル演技を見せてくれる番組は、夜の9:30からずっと深夜2時過ぎまで粘っても、
ひとつもなかった。キムヨナの演技は、一部しか見られなかったけど、真央ちゃんのフリーの初めて見る
ような鬼気せまる演技からすると、なんだか得点差が開きすぎなような気がした。
 ショートプログラムを見たかぎりでは、キムヨナの方が、やや上だとは感じたが。
 

 やっぱり、いろいろあるのだろう。スポーツ報知には下のような記事も載っている。
それでも、フリーでは、真央ちゃんは、また一皮むけて成熟へと向上した気がする。キムヨナが、いなけ
れば文句なく金だったろう。
 大丈夫、大丈夫、悲観する材料などなにもない。今回は、キムヨナ選手のピークがシンクロしたのだ。
まちがいない。キムヨナが、先に女性としての成熟も選手としてのピークも早く迎えたということだけ。
 真央ちゃんは、まだ発展途中なんだと思う。
 これから、キムヨナはピークオフして行くのだろう。十分すぎるほどの実績と名声を残して。

 関係ないかもしれないが、世界的に活躍する韓国アスリートは、一発屋ばかりだ。長続きしない。
 ミッシェル・ウィーやプロ野球選手などその典型だし。それでも、頂点かそれに近いくらい行けるのは、
たいしたことだが。
 キムヨナは、もう成熟した体なので、これからは体重維持が辛くなるだろう。

 それにしても、インタビューに嗚咽をこらえて(単に画像をカットしただけかもしれないが)精いっぱい
応える姿には、次こそ「金をあげてくれ!」と思ったのは、わたしだけじゃなかったろう・・・・

 報知新聞にあった、ちょっと気になる記事
もしかして、金が動いたとかあるのだろうか・・・・男女にかぎらずの話だが・・・・・・
そうは思いたくないが。でも、得点差が開きすぎだよな~と思う。

開幕前には、米国のジャッジが技術点で荒稼ぎするプルシェンコの表現力に疑問を呈するメールを各国の
ジャッジに送ったことが判明。競技か芸術かの論争の中心に立たされただけに、不満が爆発した。自国開催
の14年ソチ五輪出場にも意欲を示す27歳は「4回転ルッツを跳べるようにする」と4回転にこだわる姿勢を
見せた。(スポーツ報知より抜粋)

表彰式で銀メダルを手に笑顔を見せる浅田=パシフィックコロシアムで2010年2月25日、須賀川理撮影

【映像は、商用としてでなく、あくまで公開中の個人ブログ掲載目的のみで使用した】