もうほとんど忘れ去られている感がある。私自身も、つい最近まで名前を知らなかった。
どういうわけで読むきっかけになったかと言えば、NHK教育テレビで2度ほど偶然に取り上げられた場
面を見かけたからだ。その際のあつかいが、きわめて丁重であり、懐古的であったので、興味を惹かれた
ものである。
たしか、この作品の価値性として、それまで文学ではあまりなかった主人公の精神疾患(とは書かれてな
いが)、メランコリー症候群を取り扱ったものであること(現代で言う鬱症状)、こども時代の美しい描写だっ
たかと思う。
この作品、なかなか見つけるのが困難だし、BOOK-OFFのカートに入れておくと、あっと言う間になく
なってしまうので、なおさら興味を惹かれ、ついにほかのリクエストも合わせて、かなりの冊数がたまったの
で発注をした・・・・・・
さて、感想を書いておこう。
まず、主人公は子どもである。すばらしい解説文が示すように、こどもがこどもを見る視点で、大人が書
いている世界観の描写という視点で、稀有な作品世界を描出している。しかし、そこまでだ。
いや、読みにくいったらありゃしない。途中で、何度腹をたてかけたか、わからない。句読点が、正しく
あるいは、効果的にも用いられていない。そしてこれも意図的なものなのかどうか、わからないけど、どこ
で区切ったらいいのか、わからないワードが随所に出てくる。漢字を用いれば、ずいぶん解消できたの
だろうけど、やはり上述のような視点での意図するところがあったのだろうか。
この文章は、透明で美しい文体と言うが、本当に美しいと言えるのは後半に登場する1章と、その前後
くらいのように思える。それまでが、異常に読みにくいせいもあって、スポイルしているのではないかと思
えてならなかった。
ふだん1時間最低30ページ(読みやすい村上春樹作品なんかは、70ページ以上)のスピードで読ん
でいくのだけど、とてもそんなスピードでは読めない。だからといって、内容が深いわけでも、濃いわけでもない。
だから、腹がたつのである。なんと言っても読みにくい。ただ、それだけなのである。おそらく、ちっとも読
者の面倒など眼中にないのでは、あるまいか。
中勘助さんについて調べたが、最初は詩人を志したらしいことが判明した。西洋にあるような散文詩
の大作を日本語でやってみようとして、不可能を知り、小説に転向したとある。
それで、多少納得がいった。これは、小説としてでなく、散文詩として創作されたものであるということ
か。まあ一気にそう断定するのは、早計かもしれないが、少なくとも、著者の意識のなかに、まったく生起
していなかったとまでは言えないだろうと思う。
この作品を読んでいたら、ルナアルの「にんじん」を想起させる共通点を感じ出した。あそこまでドライ
で虚無的で、ある意味残酷ではないけれども、主人公同士に似通ったなにかがあるように思う。
この作品、読みにくいが、時代描写や風光描写のなかに、今日となっては、もう望めないような失われ
た時代の記憶が記録されているのは、間違いない。その価値性においては、現代に生きる人間にとって
も鑑賞に値するようだ。ただし、その価値性を尊ぶ心性があっての話だが。
また、リアルタイムでその時代の記憶を内在している人々には、また別の意味で記念碑的重量をもつものかもしれない。
また時をおいて、散文詩を鑑賞するつもりで再読するかなあ・・・・・・・次は、最初ほど手こずらないだろ
うし・・・・・・
余談:中勘助氏は、作家 野上弥生子の初恋の相手だとか・・・・・、それらしい女の子が、銀の匙にも
出てくるが、そこはフィクションの世界だから、かならずしも登場人物とはピッタリ一致してはいなさそう
だった。
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