2015年3月30日月曜日

先週のNHK「90時間ラジオ」で驚かされたこと。

先週、NHKラジオで「90時間ラジオ」、副題「放送90年、放送100年へ」というのがあった。
きみまろの聞きなれたトークで始まり、ついで年配の喜びそうな日本式懐メロと、今で言うベタな
流れでさしたるものとは思わなかったが、最終的には2つ驚かされることがあった。

土曜日だったと思うが、ミッツ・マングローブ氏のトークのレベルが高かった。変にオネエ言葉を
使わず、オーソドックスな話しぶりに終始した。彼は知的レベルが中々のような気がする。
個人的には女装家には抵抗を感じている。特にそのまんま容姿なのは。そこへ行くと、おすぎと
ピーコとかマツコデラックスとかミッツなどはそうでもない。彼ら?はトークがうまい。得意分野は
よく勉強している気がする。聞いていてなるほどと思うことがしばしばある。

最後のエンディングまでの数時間の出演者は、黒柳徹子、篠田麻里子、谷村新司とNHK司会者
だったと思うが、最後のこの時間は聞きごたえがあった。今から思うと保存版だったと思う。
最後はゾーンに入った爆裂トークが続いた。たしか東京タワーから中継とかだったが、黒柳さんの
マシンガントークの内容は普段はあまり表に出ないものではという気がした。そのトークに篠田も
谷村さんも普通についていく。二人がここまで対応できるとは。そう聞きながら途中でNHKで
こんなこと話していいのか、と思う場面もしばしばあった。
籾井会長になってからはずいぶん変わった気もする。かつて親中韓、左翼的、反日的、タブーに
異常に神経質と言われた体質が変わってきたのだろうか。
極めつけは、谷村新司さん明かした、コメンテーターを務めた時は入念に「検閲」を受けているので
中々自分の思っていることを言えないと暴露したことである。知っている限り、タレントが公にした
のはこれが初めてだ。谷村さんは勇気がある。トップシークレットじゃないのかな。
コメントはあらかじめ、こう振られたときどうお答えになりますか?と構成作家に確認されている。
その際の発言は、番組の趣旨からはずれるものであれば、「こうしゃべってください」ということに
なる。逆らえば、早晩降板されるのだろう。そういう世界らしい。

友人が日曜日朝にやっている「サンデーモーニング」のあるレギュラーコメンテーターに推薦された
ことがあるらしく、関係者の面接を受けたと言っていた。それほどトークがうまいやつじゃないので
実力も十分だったかどうかと思うが、まさにこの内容を言っていた。
「そんなに自由がないのか?」
「ああ、全部むこうで、こう話せって決められるんだ。俺は、話したいことを話せないならと言って
断ったんだ。」とのことだった。
大前研一さんの本か寺島実郎さんの本だったかと思うが「TVは真実を伝えていない」というくだり
があった。この「90時間ラジオ」をながら聞きにしてしまったが最後だけはもっとよく聞けばよかった。

後記、
好きだった「ブラタモリ」が帰ってくる。楽しみである。ただし行ったことがある所も珍しくなく、
その気になればいつでも行ける東京の街路ではなく、全国区になるのは少し惜しい。
でも地方の人に楽しみができるのと何より番組が全国区にメジャーになるんだと思えばしかたない。

テーマソングの井上陽水さんの歌を聴いていて思った。前にも3枚組CDを買って気がついてはいたけど、
陽水さんの詩ってかなり意味が破たんしている。いや、意味など考えていない。語感というか
言葉の響きと感性だけで作られているようだ。「すまよぶ」なんて日本語は辞典に載っていない。
普通の人の感覚では無理だ。

大東亜戦争時代の帝国陸海軍エースパイロットをずっと調べまくった結果、ある程度の成果、結論
めいたことが見えてきた。いずれ書いてみたい。




2015年3月29日日曜日

健さん、一番星 forever!

はっきり言ってにわかファンである。
昔から関心を持っていたわけではない。それでも知れば知るほどリスペクトしたくなるのが
健さん。亡くなってからの知人友人たちの公開されているコメントはすべて確認した。
ただただリスペクトに値すると思った。死後しばらくたってから闘病と入院、そして死去のニュース
が流れたような気がする。個人的に、情報を集めだしたのは、今年2月に入ってからである。
そういえば渥美清さんがこの世を去った時もしばらくたってから報道された気がする。
きっと本人達がそうしてくれと生前言い残したんだろう。

同時期に菅原文太さんも他界した。昔、名画座で3~4本がけでかかっていたトラック野郎シリーズ
を見たことがある。もちろんTVでも見た。多少、感化されたのかトラック野郎が集まるような、
よく映画の中に出てくる、運ちゃん御用達の大きな安食堂みたいのがないか見つけたことがある。
それらしきは、確かにあったがトラック野郎ばかりが客ではなかった。考えてみればわかることで、
何十台もトラックが一斉に入れるような飯屋がそうそうあるわけではない。だいたい時間が命の
仕事で、こみあう昼間に悠長に食堂に入っている長距離運ちゃんなどいるはずもない。

「トラック野郎」によく出てきた仲間や商売敵が集まる飲み屋はどうかと言えば、これは見つけた
ことがない。あるのかもしれないし、やはりドラマだけの話だけなのかもしれない。いずれにせよ
あの世界にあこがれた時期があった。普通はありえないことだが、金融業界に勤めながら、
ディスカウンターの夜、週末のバイトをしばらくやったことがある。本当は服務規程外だったが。
仕事を終えて、汗をふきふき再開発が始まる前のJR北浦和駅の古い商店街にあった食堂まで行き、
ビール大びん1本ととんかつライスを頼む。なぜかそんなことでも少しだけ近づいた気がしたものだ。
デスクワークだけではビールはうまくなかった。ブルーカラーにはブルーカラーの楽しみがある。
それを普通は知らないだけだ。それからまもなく再開発が始まり、店は終わった。
もう20年近くなる。あの時代、高いところは大びん600円するところもあったが、
エビス大びんが380円、かつライスは550円じゃなかったか。1000円で確か足りたような気がする。
それだけでもすごいが、店の中が昭和にタイムスリップしたというか、昭和のまま止まってしまって
いるような店だった。店主ともそんな話をしたことがあって、自分はそれがいいと言った。店主は、
特別感想もなかったようだ。ビールのことは、「ビールは手がかからないからねえ」とかうそぶいて
いた。とんかつも昭和のとんかつそのものの味だった。あの時でさえ、こんなとんかつ久しぶりだ、
と思った。あの店はもうない。もう昭和のあの味は二度と味わうこともないのかもしれない。

健さんはご存知のとおり、江利チエミさんと離婚後独身を貫いた人である。
1世代上の人たちに言わせると江利さんのおかげで江利さんと一緒になって有名になったという
のも多々聞かれる。いわば逆玉である。もちろんそれだけでは生涯トップ俳優などできるはずも
ないだろうけど。もっとも江利さんをあまりリアルタイムで見た気はしないが。
数々あるエピソードのどこを探しても健さんを貶めるような話は出てこない。さすがだ。せいぜい
若い時代に過ぎたイタズラをやったことくらいか。
よせばいいのに女性も調べてみた。すべてネット上に公開されていることであるが。
この関係で不倫とかいかがわしいものもまるでなかったようだ。関係は、いくつかあったようだが、
相手もその時はシングルだった。だとすればそれは大人の男と女の自由な交際ということになる。
誰に批判される筋合いのものではない。健さんはストイックだったせいか同性愛者ではないか、
後輩の小林捻侍さんとそうでは?とか噂が立てられたこともあった。シングルの男性が同性の
後輩を大切にしてやると大変らしい。

健さんと恋愛があったといわれるのは、4人。押しかけ女房的に向こうから積極アタックされたとい
う十朱幸代さん。一時は一緒に生活したらしいが、十朱さんの性格と喫煙癖が合わなかったらしい。
次に児島みゆきさん。これは本人が手記を書いている。1年間の同棲。否定報道もないのだから、
事実なんだろう。同世代のこども時代のエッチ心の向かう先だった。よくパンチラが載っていた。
そして賠償千恵子さん。さくらさんだ。そういえば何度も共演している。まさにビッグカップルその
もの。倍賞さんは、You Tube などを見ると海外のファンがとても多い。由紀さおりさんに
も匹敵しようかというものだ。今見ると本当にすばらしい。でもリアルタイムでは大していいとも
思わなかった。おじさんの世界だろうと思っていた。
最後に、札幌の鮨屋を借り切って、口説いたといわれる石野真子さん。石野真子の顔の感じとか
は江利チエミさんに共通するものがある気がする。
健さん、やっぱり女性も好きだったんだね。ある意味安心した。
養子になったという、今健さんの相続人の女性も多分、そういうことだろう。知り合って19年、
今50歳ということは最初は30歳そこそこの女性だったということになる。健さん、64歳。
ありえたのかもしれない。






 

2015年3月28日土曜日

ブログの前にやることはあるのだが。

ブログを更新できなくなる原因がわかったような気がすることがあった。読まれることを前提で書か
ない、いずれ読まれるだろうということも過剰に意識はしないで書くと記述したはずだが、ときどき
気持ちが、そうはいっても傾きかけることがある。とくにアクセスカウンターの数字は気にならないと
言えば嘘になる。やはり気にはなる。それもいったん気にしてしまうと、なかなか意識せずにはいら
れなくなる。昼間の時間帯がどうも多いようだとか、夜間が少ないから若者とかは見てないようだ
とか、どんな人が見てるのだろうかとか、あるいは知り合いが見ているのでは?とか、もしかしたら
とんでもない有名人が見ているのでは?とか考えたりすることもある。このブログを開設して以来、
家族友人知人は言うまでも無く誰にも紹介したことはない。ブログをやっていることはかなりの人に
話してはいる。URLを教えてくれと言われたことも一度や二度じゃない。でも教えなかった。意地悪
ではない。教えたら書きにくくなると思ったからである。多分、それは当たっていると思う。

一方で、もしかすると本当に見てもらいたい人が人知れず見に来てくれているということも期待しな
いということもない。リアル世界で深く関心を寄せてくれていた人、世の中にそれほどはいないはず
だが、あるいは気づいてくれるのでは?という思いが去来することがある。
それは淡い夢であるかもしれない。しかし今の世の中、たとえ淡い夢であったとしても生きていく上
で欠かせないものではないかとも思っている。「潤い」とでも表現したらいいのか、あるいは「明日へ
の生き甲斐」としたらいいのかわからないが。私にとってはいくつかのうちのひとつがこれである。
また他のそれらを幾ばくかは出せるのがここである。

どうも人生が後半に入ってくると、なぜか自分で自分をごまかせなくなってくる。自分で自分を
無理に納得させにくくなってくるような気がする。最近見なくなった、以前は頻繁にTVに出ていた
俳優女優などを調べてみると、意外に花農家をやっているとか、NPO団体で働いているとか、
全く別の世界で生きているとか、ネットで調べると多いのに気がついた。
杉本彩、本名は「松山基栄」さんなどの記事を拾いながら、そう思わずにはいられなかった。
それにしても彼女はすさまじい少女時代からの人生である。
いくらか下の年代になるが、ここまでの境遇の子は珍しかったはずである。一度昔、どこかで
多分六本木ではなかったかと思うが見かけたことがあるような気がする。
顔が小さくて手足が長くてすごい美人のモデルのような18~19くらいの子。ニコニコしていて、
まるで一般人とは違った。本物だったかもしれないし、単に似た子だったのかもしれない。
連れが話しかけた気がするのだがよくは覚えていない。あの頃は、自分と自分の仲間達は、
暑中有名人と出くわしていた。それどころか知人に有名人がいることも珍しくはなかった。
ある領域というか世界を知っていると当たり前のようにそうなるのである。今でもつきあいのある
友人がそうであった。両親とも芸能の世界、とは言ってもどちらかと言えば古典芸能の世界だと
思うが、そういう家庭に育ったようである。なぜか行く先には、そういう世界が広がった。ただし
、暗黙のルールみたいのがあって、決して特別扱いをしない、というのがあったように思う。
サインはもらわないとか、名前を聞かないとか、根掘り葉掘り聞かないとか、そういったたぐいの
ことで、要するに普通に接するということである。それはキャバクラのお姉さんたちにも同じ事で、
共通した世界だろうかと思わせるところがあった。
近いキャラで行くと同年代になる三原じゅん子議員の変貌ぶりにはおどろかされた。
かつてはスケバンキャラで一世を風靡し、馬乗りじゅん子で逮捕騒ぎがあり、今はなんと与党
保守系国会議員なのだから。「八紘一宇」とはよく言ったものだ。
家族が演説会の来援にきた三原議員のスピーチを聞いたらしく、感動的だったようである。
昔の彼女からは想像もつかないが、杉本彩、「松山基栄」さんに共通する何かがあるんじゃないか
と思わせられる。亡くなった飯島愛が、飯島愛って誰よ!どこまで行っても「大久保松恵」だもん、
と亡くなる前に書いたと聞いたが、共通する何かがあるような気もする。
なにかごまかしではない、虚飾のない自分に向き合わざるを得ない時機が人にはやってくるのでは
ないか?という気がする。その時に人が求めるのは「意義深いこと」ということだろうか。
まだ考えがまとまってはいない。現象的にいくつか抽出してみると、そんな気もするだけである。
それがあるいは「潤い」とか、「明日への生き甲斐」として形違えてつながるのかもしれない。

掲示板で知りあった掲示板の板友のことも時々去来する。
リアル世界での人間のつきあいで心に残ることに、その人の表情や様子とともに、その人の言った
こと、「言葉」があると思う。それらに多少鳴らずとも人は影響される、もしくは感化されると言った
方がいいかもしれないが、そういったことは誰にでもままあるのではないだろうか。いつのまにか
自分の一部になってしまう。そういうことはないだろうか。最近、コーヒーを時々飲むようになった。
以前、板でのドライブ談義で、寒い夜更けに一人であたたかいコーヒーを飲むのはいいですよと
言っていた人の記述を今でも印象的に覚えている。

最近になってブログの更新がやりにくくなるもう一つの原因に思いあたった。それは間違いをしない
ようにと気を遣いすぎることである。
単にまちがいではなく、前言との論理一貫性もここではあてはまる。これは楽なことではない。
人は、日々変わる。気持ちや考え方、対象に対する評価、好悪の情さえいつまでも同じというほう
が希少なことではないだろうか。かつて言ったことと矛盾ができるだけ起きないようにするには、
相当な記憶力と自己認識力が必要であるような気がする。記憶力はともかく、自分で自分が
わかっていないで書き続けていくのは自己破綻につながるのではないか。
ブログの前にやることがある。やるべきことがある。大したことではないが、やらなければならない
ことがある。そう理解している。

後記
せめて1日の寝る前に、あるいは週末に「自分」を整理すべきだと思うようになった。
好き勝手にやっていると収拾がつかなくなる。どれがどれなんだとか考えるのが煩わしい。
そこでBusiness Diaryにまとめるようにしている。いるのだが、どうも中々やれないで困る。
学生時代の勉強とそっくりだと感じている。

2015年3月21日土曜日

最強の柔道家は誰か?まじかで見た最強クラスの柔道家たち(2)

ちょっと視点を変えてみよう。現在における最強選手といえば、これは実績から言ってもテディー・
リネール選手であることは疑いのないところだろう。公称204cm(以前は200cmと言っていたが)、
129kgで鋼鉄のような肉体。イメージだけで考えるならへーシンクさんやルスカさん、山下師範なども
凌駕してしまうのでは?と考えてもおかしくない。ましてや木村政彦先生など・・・・と考えがちだ。

動画で実際の試合の様子を見てみた。するとそうでもないことがわかる。最近の立山選手や七戸
選手との試合を見ると、実力的にさほど上回る選手でもないようだ。それどころか相手にいいところ
を持たれて投げられるリスクが発生するとすかさず掛け逃げばかりする。ずるがしこい柔道で
ある。危ないところをうまく逃げ、反則にならないようにする、あるいは反則すれすれで切り抜ける、
相手が十分に組めないでいたその瞬間を狙ってこのときとばかりに豪腕でひねり倒す、そんな柔道
に見える。あれでは最強の柔道家の称号は無理ではないかと思う。

へーシンクさん、ルスカさん、山下師範とも全力の真っ向勝負で一本を取りに行くスタイルだった。
木村先生は言うまでもない。ここに名前のあがる全員がすぐれた日本人指導者について柔道を学
んだと言われている。へーシンクさんを一から育てたのは大日本武徳会柔道の道上伯師範、ルス
カさんを最強選手にしたのは岡野功師範の正気塾、木村先生は鬼の牛島師範、山下さんは佐藤
師範とされている。意外にもルスカはトレーニングから稽古から何から何まで日本式であそこま
で強くなった選手だった。違っていたのは牛乳乳製品を日本人よりも頻繁に摂っていたことくらいだ
ろうか。おそらくリネール選手を指導したのは、ポイント優先柔道で育ったヨーロッパ系の元選手
の指導者ではないだろうか。ルールの範囲ならば試合運びはそれでいいのだろうが、果たして最
強にふさわしいかどうかとなればやや疑念が生じてくる。

総合格闘技に行った石井慧が現役を続行していたらリネールの独走はなかったろうと思う。ちなみ
にNHKでやった石井のドキュメントでは、合同稽古のとき石井の乱取りの相手への申し出をオリン
ピック前だったせいもあってか断っていた。リネール選手を最強の柔道家の列には入れられなさそ
うである。人種差別はしていないが、現在のF1のルイス・ハミルトンに共通したものがあるような気
がする。負けた試合が気に入らなくてリネールが礼をせずさっさと帰ったところなど、ハミルトンがさ
んざんぬかれまいと妨害しピットレーンまでひきずって入っていくいさぎよくない姿にオーバーラップ
してしまう。

後記
一時期ルール改正に伴って、ヨーロッパ系の選手達が以前の極端なポイント優先主義から、柔道
本来の一本を取るスタイルに変化した気がしたが、また戻ってしまったのだろうか。あるいはリネー
ル選手だけの問題だろうか。ヨーロッパ系選手の柔道スタイルが変わったとき、彼らはどちらにで
も順応できるんだなあと感心したものだったが。


2015年3月16日月曜日

2JZ-GTEに関する話題

ネットで直列6気筒や2JZ-GTEのことを調べていると、かなり早い2ページ目くらいでここに届いて
しまうことがあり、驚くことがある。このブログの閲覧者は、JZS147および2JZ-GTEに興味関心を
持つ人たちが多いらしい。ここではまず自分の経験や知識、考察の整理のため記述していると
前に書いたとおり、読んでもらうことを大前提とはせず、またいずれ読まれるだろうということも過剰
に意識はしないで書いている。だが、結果的に閲覧する人にとってもちょっとなにかの参考にでも
なれば幸い、という発信スタンスがないわけではない。自分もそのようにしてネット上の情報に
アクセスさせてもらっているし。
読んでもらうことが大前提だったり、過剰に意識し出すとやりきれなくなると思う。自分の知人のを
見ていても、またできのいい他所のブログを見ていてもその結果だと感じられる中断が多い気が
する。それは残念なことだと思う。無報酬なことを継続させるためには前記のような姿勢が必要な
のではないかと考えている。したがってこれからも、ですます調などは取らないつもりである。

さて本題の2JZ-GTEのことを書いてみよう。ただしあくまで私見であるのを断っておこう。
それとこのエンジンはレギュラーで回しているときとハイオクで回しているときでは印象が変わって
しまうということも付け加えねばならない。以前書いたレギュラーのときのレスポンスの悪さ、
全体的なパワー感の低さはハイオクで満たす度に毎回どんどん解消されていった。
【すぐれているところ】
➀3リッターという絶妙な排気量。大きすぎず、かといってこれより小さいと1.7トンには向かない。
 逆に1.5トンのスープラならば2.5リッター、1JZ-GTEでもいいような気がする。
 そう言えばこんなことがあった。
 HKSかフジツボのマフラーかの選択で調べていたら、メーカーのHP上に1JZ-GTE後期仕様は
 ノーマルで320~330馬力出ているというデータがあった。有名なマフラーメーカーだから間違い
 ないことだろう。
  逆にRB6DETT前期(R32)などは230馬力などのデータだった。中古でも使ったのかと思った。
 ただしR33では270馬力、R34では330~340馬力のデータだったと思う。
 1JZ-GTEなどはトルクはないが上のパワーはかなりのもののようである。もっと前期仕様などは
 良くて250馬力、多くが230馬力前後と言われていた時代があったのもよく知られている。
 2JZ-GTEはノーマルで296馬力というデータであった。それは体験からしても納得である。
 それ以上はないだろう。それ以下でもないだろう。経験にもとずく実感と合っている。
 ヤフオクでRegalisスーパーRが落とせず、HKSサイレントハイパワーを落札した。しばらくして
 色々調べてみたらかえってこれで良かったと気づいた。

②直列6気筒であること。
 これをうまく表現するのは無理だ。本当は乗ってみなければわからないだろうと思う。
 やや窓を開けて都内を走っていた季節に、アイドリング中なのにスターターを回してしまったの
 が2~3度あった。名機と言われた7M-GTEなどより全然いい。
 アイドリング中は無振動に近い。今の車のようにさしたる制振材は使ってないはずだが。
 1UZ- FEV8エンジンではアイドリングでかすかに振動しているかのようだったATシフトレバー
 にもほとんど振動が感じられない。アイドリングはもちろん、緩加速でもとても静かである。
 一方、軽負荷の緩加速で聞こえてくるかすかなタービン音とメカニカルノイズはエンジンが働いて
 くれているんだなあと実感できる。
 深夜、仕事から帰ってきてパーキングに止めて、すべてのスイッチを切る前に静寂の中で
 かすかにエンジンから聞こえてくる音に耳を傾けると溶鉱炉の中が燃えさかっているような
 のが伝わってくる。どうもトランスミッションを通してのようだが。
 1日の疲れに包まれながらこれを感じ取れる瞬間を楽しみにしている。
 はじめはスープラとアリストにしか搭載されていなかったとはいえ、1JZ-GTEと多くを共有する
 量産モジュラーエンジンだろうとたかをくくっていた。さんざんいろんなエンジンを味わってきたが
 中々すばらしいエンジンである。

 (次回に続く)

後記
同じ話題ばかり書いているとあきてくるので他のことも書こうと思う。国際政治、日本経済、歴史、
文学、音楽なども書いてみたいと思っている。こういった分野ではまわりについてこれる人間が
ほとんどいない。いくつかはそれなりのリアル団体に参加しているときもあるが、思うところを遠慮
なく言えるということはまずない。
ブログタイトルもカーライフ中心のものから変えるべきか。
さきごろ惜しくも亡くなった徳大寺有恒師匠の本などの「ああ、人生グランドツーリング」などがいい
なあと思っている。
小林彰太郎さんも亡くなった。何冊も本を持っている。本当の車の良さを知っている大物先輩は
三本和彦さんとガンさんくらいになってしまった。
以前はずっと、Car Graphic , ルボラン , NAVIを毎月買っていた時期が続いた。最初こんな雑誌
なんの役に立つ!と思っていたページ数の割りに高かったNAVI(もう廃刊にはなってしまったが)
のことをこれだけはすばらしかったと今は思っている。特に師匠の世界は最高だった。間違いなく。

 
 

2015年3月14日土曜日

アリスト3.0V初の大修理(3)ウオーターポンプじゃなかったの?

正直、今ではこれほど気に入る車だとは思わなかった。いろいろ調べた末で買ったのだが、日常
走り回ることを想定してある程度傷がつくことさえ予想していた車だった。案の状、当て逃げ傷が
この5年で数カ所できてしまっている。いわゆるアシ車のつもりで買ったのだ。当時も今も不人気
ヤン車の1台とされ、自分のはリアガラスアンテナが(小さくおりたたんでいる。)残っているせい
あってか、ときどき理不尽な煽り行為を軽1BOXに乗ったこちらから見ればアンちゃんなどから
けたり、たまにトラックもからんでくることがある。どうも彼らにとってはこちらは免許とったばかり
生意気ヤンキーに見えるらしい。

これがメルセデスやZR1になれば、全然態度は変わってくる。正確に言えばZR1では時々、前に
行ってやろうという意識見え見えの変な思惑を持った、たいていはドンのろのAT車(2リッター未満
のマーチやヴィッツRS等)に結構出くわすが、たいていおタッキーな雰囲気を持ったメガネをかけた
30歳前後から40歳前後の一人でにやつきながら走っているような輩か、昔相当荒い運転をして
いたに相違ない60歳から70歳前後の悟りきっていない家族を乗せた爺たちである。高性能車の
ルームミラーは一般車よりもずっとよく後ろが見えるのを知らないようだ。
単なるドノーマルアリストに乗っている時であっても新しいクラウンやBMWなどの社会地位が
ある人間が一見して乗っているのがありありの車ではおかしな輩がいないのも事実だ。ある意
味、偏見かもしれないが車をよく知っている人間が乗る車であったり、走りを見ていてもこちらと
同じように抑制的に乗っている場合は、たまに先に行きたいという意識は見せるのはいても、
しかけてくる輩にはまず出くわしたことがない。そういう車に限ってどれくらいの性能か知りたいと
思うことも時々はあるのだが、競ってくるようなドライバーは通常の道路ではいない。

ここ10年近く理不尽な煽り運転をされても、あまり気にしないようにしているし、片側2車線で接近し
てくる車がある場合で第2走行車線にいた場合は、走行車線に移って譲るようにしている。
多分、アリストに乗り出してからだと思う。ここまで模範的ドライバーになったのは。この車で
主張してやることはない。性能は知り尽くされている感があるし。第一、ドノーマルな車なんだし。
コーナーでもないところでは意味がないと思っている。この車の良さは激しいドライビングでは得ら
れない。そういうこともできるがやっぱりセダンなのである。スポーツカーとは全然違う。
それでも単なるからかい半分で煽ってくるバカ車、バカトラックで度を超したやからにだけは少し
だけ車とドライバーの実力を垣間見せるようにしているということはある。たいていはこれでおさ
まる。ただどれくらいまで見せたら納得してもらえるのかが難しい。というのは法定スピードとの
兼ね合いがあるからだが。もちろん公道で100%など出すはずもない。20代.30代の若かったころ
はそうではなかったが。今ではどうなってしまうのかが、よくわかっている。そういった状況で事故を
起こしたことはこれまでなかったが、それが今後も続くとは限らないとよく理解できるようになった。
やってしまえば間違いなく人生のチャンスは終わるだろう。

【第2段階から大修理完了まで】
工場での原因究明⇒連絡
外車専門工場でZR1やメルセデスをいつも見てもらっているかれこれ約20年のつきあいのところ。
はじめ国産車ということで渋られたが結局受けてくれた。
入庫当日
➀異音の原因はクランクプーリー内部のエンジン側と接合するゴム状部分の経年劣化。
⇒クランクプーリーの交換が必要。あとで確認して納得。
②ウオーターポンプは正常作動で問題なし。
⇒なんてことだ。せっかく苦労して手に入れたものを。少し考えてこの際交換してしまうことにした。
入庫翌日
③ラジエータータンクに腐食亀裂部があるので要交換(➀の点検でわかったようだ。)
⇒パーツ持ち込みでやってくれというのを知っているからか、新品ラジエーターを入り値でやって
 くれるということになった。約6万円⇒4万円。(でも利益はあったろうと思う。)この工場は、とに
 かく さっさと車を返して回転率を稼ごうという意向が強い。
入庫翌々日
修理終了
入庫6日後
引き取り 
ラジエーター部品代を含む修理料金合計は、¥104,778。予定より2~3万円ほど高い。ちょっと
気になる。長いつきあいの中で昔ほど良心的ではなくなった気がした。その後、何度かの別の
車の修理や見積もりなどで、だんだん昔とは違ってきたのだということがわかった。今では別の
工場に出すようにしている。その間の経緯も興味深い話しになるだろうと思うので別の機会に
書いてみることにしよう。工場選びもカーライフではとても重要なことだろう。
         
JZS147アリストの良さを表現するとどうなるだろうと考えてみた。
➀大きい(どんな車にも格負けしないだけの必要最小限の大きさはあると思う)。
②ゆったりしている。
③パワーがある。(特にパーシャルスロットルでの)
④静かであること。
⑤気品のあるスタイリングの曲線やシルエット
(見ようによっては、ワゴンのような形状に近く、往年の117クーペやピアッツアなどのジウジアーロ
 スケッチモデルに共通するものがある。この中で一番スタディーモデルに忠実に量産設計された
 のがJZS147で室内長は後継のJZS161よりも優秀である。)
⑥そこそこコーナリングもこなす。雑誌のテストでは、筑波C2000で1分10秒を切ったようである。
 なんとメルセデスE500なみ(ただし90年代の)。サーキッでの性能はE500に匹敵している。
【良くないと思えるところ】
 ただしノーマルブレーキの性能とワインディングでのタイトコーナーなんかは相当なヘタレである
 ことも事実で、リバースコーナーの切り返しでの荷重の揺り戻しのラグの大きさなんかがまるで
 一般車レベルなのは攻めたことがあれば知らないではすまされないだろう。したがってタイヤの
 状態によってはいい気になってコーナリングしていれば簡単に限界を超えてしまう。ノーマル仕様
 の場合、ワインディングの連続タイトコーナーなどその手の状況は全く想定されていないと知る
 べきであるが、たいていはストリートでの1級の動力性能を過信してそのままのつもりで走って
 しまったのではないかと思う。この車は事故が多かったと聞く。280PS仕様車はどの車も事故率
 が高くて一時期マスコミでも問題になったことがあった。これまで2度限界を超えかけたことが
 ある。限界付近のインフォメーションが本当にとぼしくていきなり来るので驚いた。決して限界を
 極めようとしたドライブではなかった。それなりに十分マージンを残していると思ったのだが
 実際はなかった。それなりに走るには、タイヤ、ブレーキ、 サスなどに気を使ったチューニング
 が必要である。
 雪道などではトラクションがかかりにくいのが非常によくわかる。重量バランスなどはあくまで
 セダンの一般実用車レベルなのである。

後記
次回は、アリストの2JZ-GTE直列6気筒エンジンについて書いてみようかと思っている。
それくらいの価値はあるエンジンだと思っている。前言ったことを訂正する必要もあるし。

 

アリスト3.0V初の大修理(2)ウオーターポンプじゃなかったの?

このテーマは、およそ211ヶ月ぶりの更新になる。前回までの履歴を確認するのが大変だった。
もうずっと前に終わっていることだし、すでに別の問題も生じて久しい。
かれこれ15年くらい仕事やプライベートをふくめ、覚えておいたほうがいいことは1冊のDiary
まとめている。それ以前は、重要書類などはファイリングしていたが自動車関係だけでも自分の
場合は膨大になってしまった。どんどん処理していらないものは捨てていかないと部屋もカバンも
とんでもない状態になることに思いあたった。挙げ句の果てには、昔の書類の内容がわからな
かったり、覚えていなかったりということになった。自分の生活をある程度整理し、把握しておくため
にはDiaryは必需品である。書類とは、様々な情報を載せたものにすぎないので必要なものだけ
抜き出してまとめておくことは自分にとっては必須のことになっている。億劫なのは億劫で間違い
ないが。

さてその2012年度のDiaryをひろげて確認したが、実は前回の記述の時にはすでに修理が終了
していたことに最終的に気づくことになった。はじめは時系列的に納得がいかなくておかしい
んじゃないかと思ったが、何度も見直しても3月の末には完了していたようである。ブログには
ドキュメント風に時系列的に振り返るように記述するつもりであったのだろう。

では、どういうことになったかである。
【第1段階】
主要部品の購入
ウオーターポンプ ⇒ これが非常に大変だった。年式や型式ごとに実に複雑なことになっていて
              品番の適合確認(型式・車台番号との)をしなければならなかった。
              大きく分けて安い12万円くらいの機械式とほとんど10万円の油圧式が
              ある。同じJZS147でも、機械式なら楽天市場で8000円台だったのに、自分
              のはそれではなかった。ネットでどんなに安いのを探しても7.5万円ほどは
              した。中古やリビルトでは中古パーツ専門業者3社にオーダーを出したが全く
                                 出てこなかった。果てはちょっとやばめの中国人組織が関わっているという
              非公式ルートにも聞いてもらったり(そんなのがあるんだと初めて知った。)
              、e-Bayなども調べたが全く出てこなかった。

              ここまで探してないということはもう正規ルート以外は無理だとわかったので
              アリストを買ったP&M横浜のT社長のつてをお願いすることにした。この人
              は、元トヨタカローラ神奈川の役員か部長職をされていた方である。
              ネット通販で買ったご縁だったが、非常に印象に残っている。
              ちょうど前の会社を辞めた後だったので仕事をやらなければダメだと叱ら
              れた。またトヨタ販社でのかなり赤裸々な人間関係や騒動を一見の自分
              にもほとばしるように話してくれた。大変苦労されてきたのになおも現役で
              がんばっている方だった。ほぼ父親と同年齢深い暖かみを持って接して
              くれる人間性を持った人だ。


              T社長や父親の1世代後になる団塊世代では、こういうタイプの人はまず
              いない。「なにか困ったことがあったら電話して」と言われていたので、
              頼むことにした。
              結果、トヨタディーラーから社員割引だか社内割引とかで税込みで\68,512
                                 で購入できた。最初は、実はもっと高いことをディーラーの方(多分ビスタ店
              だったと記憶する。)では言ったのだが、T社長の方から前記の割引を聞い
              ているが、その割引が適用されているのかと問いただすと、あせった様子
              をみせ、少し電話口で待たされて後かなり意気消沈した声のトーンで出し
              た金額だった。おまけにうちの方で送料は持つから、これで納得してくださ
              い言われた記憶がある。なぜか最後の方は低姿勢であった。
              どういう事情があるのかわからないが結果的にそういうことになった。
                                
ポンプ交換時についでに交換した
ほうがいいとされるショートパーツ
【カムシャフトオイルシール】   \299×2
【クランクシャフトオイルシール】  \586×2     ⇒  いずれも楽天市場のパーツ屋さんから購入。
                               必要だったのは適合確認のみ。

こうして最小負担で主要部品をそろえ、第2段階の修理工場にドック入りとなった。
そのはずだった。
ところがまったく全く予想だにしていなかったことになる。

後記
今日、YouTubeの動画の見過ぎで、イーモバイル改め、ワイモバイルから通信制限を受けたこと
を知った。2014年5月から始まっていたと機械的なしゃべり方をする女のオペレーターから聞いた。
しかしイーモバイルじゃなかった、ワイモバイルはどうなっているんだ。全然聞いてないぞ。

いつかは機種変更したときに勝手に制限プランに変えられていたし。営業の説明では、無制限の
ままで安くなるし、通信速度もずっといいということだったのに。結局、向こうの落ち度は認めて
くれてクレーム月の残りは安くなった料金のまま制限解除でやってくれて、翌月から全然安くなって
いない前と同じ料金での継続となったことがあった。2010年か2012年前後だったような気がする。
正直、またか!の感である。
それにしてもイーバンクしかり、イーモバイルしかりだが、楽天やソフトバンクに買収された会社は、
無料サービスなどがどんどんほごにされてしまうのが腹立たしい。もしかして他社より優れた
サービスで客を囲い込んでおいて会社を高値で売り払い、買った会社はそれにつけこんでどんどん
サービスを削ってもうけ優先に走るというビジネスモデルが確立して横行しているのだろうか。
ちょっとだけM&A分野に携わって研究したことがあるが、それは十分ありうることだと思った。
ただし初めからそのつもりで起業し、売り抜けるというのまでは不明ながら不知だった。
もしそうだとしたらずいぶんずるがしこい話しである。そう言えば、イーモバイルは極端にサービス
対応にコストをかけていなくて問い合わせがつながらない、つながってもよく知らない、通話有料制
がしばらく続き、買収される前に他社並みにサービス体制が良くなったが、それも計画の内だった
と考えればある意味納得できる。一応、金額そのままで2年間制限解除の最新機種に新たに
申し込むことにしたが考え時かもしれない。もっといいやつは他にあるのだろうか。












2015年3月10日火曜日

最強の柔道家は誰か?まじかで見た最強クラスの柔道家たち(1)

つい先月のことだが、ミュンヘンオリンピック2階級制覇のウィレム・ルスカ氏が亡くなったとの報道
があった。時々ネットで見る「史上最強の柔道家は誰か」というテーマで必ず上がってくるビッグ
ネームの一人になっている。古くは木村政彦、戦後ではアントン・へーシンク、山下泰裕らと並び
この4人のうちの誰かがということになっている。小学校から高校まで柔道に打ち込んだ時期が
あって、誰かなあと考えることがある。ネット上の意見は専門家を含めてへーシンクと山下が甲乙
つけがたく同率1位で、僅差でルスカ氏というものが目についた。しかし本当だろうかと思うこともある。

そこで色々見聞きしたことなんかを思い出してみることにした。
ただし、1回で書きおおせることではないと思うし、、自分の見聞きした体験見聞も順不同に書いて
いくので気長に読んでほしい。ただしすべて事実の裏付けがあることにする。また得意の英語力を
駆使して日本語では表記されていない、あるいは日本では知られていないことも書いてみるから、
他にはない話しになるかもしれない。往々にしてテーマから脱線するかもしれないが。

ずいぶん前に全日本選手権を見に行ったとき間違って貴賓席に座ってしまったことがあり、となり
にいた異常に脛が長く頑丈で立つと周囲を圧するほどの巨人だったのがへーシンクさんだった。
メガネをかけていた。まじめそうないいおじさんだった。大きな外国人が何人かいたが、へーシンク
さんより大きいのは身長200cm体重128kgの世界選手権で3位になったことのあるコバセビッチ
選手だけだった。
2人とも場外の廊下にあった売店で、他の外国人たちに混じりながら飲み物か何か買っていた。
面識はなかったようで談笑する姿はなかった。周囲の普通の?外国人達とは明らかにサイズの
クラスが違っていてさすがだなあと思わずにはいられなかった。コバセビッチは、当時世界クラス
の選手になっていたが、なぜかしばらく大きな試合に出ていなかった記憶がある。
からかい好きで、私のように?紛れ込んできた小さな日本人の子どもが紅毛碧眼の大男達を
見て、大目を開けてフリーズしてしまっているのを見て、Is  he your  father ?とか言ってからかって
いた。するとやはり貴賓席にすわってコバセビッチに手で示された黒い髭ずらの男が、My son is
not so much dirty,not so much!とか言って周囲の笑いを誘っていた。
ちょっと腹が立ったが、英語はわからないふりをしてそのままにしておいた。少なくともそこにいる
のはならずものではなく柔道で名をなした名外国人選手ばかりだったし、場違いなのは自分なのだ
から。ある程度そこで見て準決勝か決勝前の休憩時間に移動した。今なら係員にすぐにどかされる
だろうが、なぜかそんなことも起こらなかった。
それにしてもへーシンクやコバセビッチの人間離れした巨体には驚かずにはいられなかった。特に
となりで見たへーシンクは、こりゃあ猿が違う、と思った。これでは勝てる日本人はいなかっただろう
、それが実感だった。

ヘーシンクのトレーニング:
ランニング(インターバル、心肺能力)、自転車(脚力)、
フットボール(反射運動、足関節)
バーベル(ハイクリーンでパワー強化、左右に振って崩しへの耐久力)、
ダンベル、エキスパンダー(基礎体力、引き手強化)、
鉄棒に顎を掛けての首の強化、レスリング、水泳・・・

                         以上、あなたの道場「あこう堂」日記より引用

                                                                                       
        左から故へーシンク氏、故岩釣師範、故ルスカ氏、佐藤師範            
          右半身写っている巨人は、おそらく故ピーター・アデラ-さんかな。
                                                                                                                            休日の トレーニング中の故へーシンクさん



                                         左が、故コバセビッチ選手、Wikiには193cm,100kgとか書かれているが
                  そんなわけない。18歳の時、日本の道場に留学に来ていて、当時198cm
                  のすごいでかい外人の柔道やってるやつがいると評判だった。
                  半世代違うので遭遇したことはなかったが乱取り練習などをした先輩から良
                  うわさを聞いた。当時から茶目っ気たっぷりで、日本人のGFの写真を館長から
                  捨てるように言われて捨てるまねしてごまかしていたと聞いた。

後記
しかしそれにしてもへーシンクもルスカもコバセビッチももう本当にこの世を去ってしまったのか。
あんな強靱な男達がと思う。あの日、紛れもなくとなりにいた巨人アントニウス・へーシンク、
茶目っ気のラドミール・コバセビッチ、ちょっと前のことのような気がするのに。
そう言えばあの時、コバセビッチ選手が誰かから「これからどうするの?」とか日本語で聞かれて、
「私は、国に帰って兵隊になります。」って言っていたなあ。






2015年3月8日日曜日

さて何から書こうか。少しずつでもブログを再開しよう。

さて何から書こうか。少しずつでもブログを再開しよう。
もう2年以上も更新していなかったのか。
それでもアクセスが5万件以上になったのだから、少し責任を感じてしまう。
書きたいことは山のようにあったけれど、2~3時間はかかるその時間が出せなかった。

今もなんとかいる会社では、一番洗脳されていないのが自分だと思っているいるけれども
やっぱり仕事以外のことがほとんどできなくなるから、かなり影響を受けているんだと思う。
他の連中なんかふだんは、ふつうの感じだけどここ一番となった時の目つきがいっちゃってる
気がする。自分の見間違いだろうか。イデオロギーは全然違うけれども言動や態度、行動なんか
が日教組の先生とか共産主義支持者みたいな気がしてしかたがない時も正直ある。

これを読んでる人たちは「管理★養成学校」というのを知っているだろうか。富士の地獄の
13日間特訓という、あれである。あれが席巻している会社なのである。真正直に実行している
のである。多分修了者が半分以上になっている!そういうところ。詳しく書きすぎるとまずいので
これくらいにしておこう。ただ、王★さんの社長が暗殺されてしまったというのをニュースを知って
なんかの拍子に調べたとき、餃子の★将さんがまるっきりその養成学校にうちの会社と同じように
席巻されている会社だと知り、なおかつネット上にアップされている動画、記述を見て、なるほどな
と思わずにはいられなかった。
そこに書かれていたことはほとんどうちとあてはまることばかりだったからである。あんなことを
やっていればいつかは恨みを買う、そう思えた。耐えて耐えて耐え抜いた人ほど恨みは深いだろ
う。自分の場合は、それはない。ましてや会社を離れた人ならなおさらだ。その筋につながりが
あって少し金に余裕がある年配なら・・・・・と考えてみた。
一方、それなりの有名大手企業ではまず起きないだろうとも思う。第一、会社が養成学校なんて
非人間的なものに関心は持たないだろう。実は書きにくいことだが、もうひとつの条件があった
ような気がする。つまり王★さんのような会社だから起きたのだということと、そのような会社の
クラスの・・・・だからということである。誤解をまねくので伏せ字にした。真実は、時として重大な
リスクを招いてしまう。

それほど古くはない実体験をもとにたとえて言うことにする。
最下級クラスの大学の学生が全員が全員、人品卑しい人間ばかりではないことは事実である。
今時なら半分以上はそこそこまともである。だが世間常識を全く知らないのも上級大学にくらべ
圧倒的に頻度が多いということも紛れもない事実である。
うちの会社の場合には、とりあえず両者がそろってはいない。片方が欠けている。たまにそろう
人が入ってきても、長居はしないし、できないのを見てきた。大体入社直前時には「素直に人の
話を聞く人間かどうか」というのが最大採否項目になっているし。年に2回の宿泊型研修がある。
これは王★さんと全く同じだが・・・・・・厳重にも厳重を重ねた社員選別管理体制とも言える。
洗脳されてハイになっちゃってるのをまま見せつけられると、こんな会社でいつまで働くのかと、
ときどき考えてしまう。食っていくにはしかたがないが・・・・・
次回以降のテーマは、これまでの路線にする予定。

後記
養成学校のことを否定的に書いてしまったが、あれはあれで元々がしょうもない人たちを
多少はまともなきりっとした労働者にするには効果があるとは思っている。ただし、中庸を
とりにくい体質というのが大きな問題じゃないかなとも思う。
さりながら・・・・・・今の日本人って、ちょっとのことでへこたれるし、自分勝手を言うし、逃げるし
嘘をつく、最後まで責任を果たさない、叱れば変な噂を流す、そういう連中ばかりだというのも
イヤというほど見てきた。そこそこの会社でもそうだったし、そうでないところはなおさら。
そういう見方で行くと、このカラーに席巻されている会社ではほとんどそれらは解消されていると
認めざるを得ない事実ということもある。つくづく思うのは、会社や経営者にとってこんなにいい
人間改造システムはないだろうなあということ。

バージョンが更新されて、以前よりずっと校正がしやすくなった気がした。








2012年5月15日火曜日

アリスト3.0V初の大修理(1)

昨年夏、8月前にアリストのエンジン付近の異音が無視できなく
なって、それ以来乗るのはやめていた。しかし転職して始めた仕
事が勝手がつかめるまで余裕がなくて、しばらく放置してしまうこ
とになった。それが先月、大修理を施したのは、このあいだ書い
たとおり。その続きである。


最初、いろいろ調べた結果、バルブクリアランス不良ではないか
と思い当たった。タペット調整とかいうのが必要になる、あれであ
る。調べれば、調べるほど症状は文献に書いてあるのとそっくり
だった。
これには、最低でもシックスネスゲージという専門工具がいるが、
もちろん持ってない。なによりヘッドを開けなければならないので
かなり大掛かりだ。1日目で失敗しても、次の日に完了する車い
じりが最近できないでいるし。


そこで駐車場のすぐそばにある、昔からある、ただし一度も頼ん
だことはない堅い感じの民間修理工場に持ち込み、無料修理見
積もりをしてもらった。
故障診断は、Vクリアランスではなく、ウオーターポンプ故障らし
い・・・とのことで、部品代約1.6~1.7万円工賃2.5万円くらい
みてくれとのこと。工賃は、時間6000円だという。部品は、持ち
込みOK、工賃の見積もり金額は影響は受けないと説明を受け
た。けっこう良心的。いつだったか、うちは改造車はいっさい駄
目!と電話で断られたことがあったが、さすがに堅い商売を心掛
けてるらしい。事務所は、昭和30年代のお姉さんたちがそのまま
歳とって働いてるようなおばちゃんばかりだった。見てくれた工場
長は、50代なかばだったが、せがれなのか、雇い人かどうかわ
からない、以前もっとおじいさんの姿を前を通るたびに見かけた
が、引退してしまったのだろうか。


最近はともかく、1990年代くらいまでは車屋は部品持ち込みを
いやがったものだ。それは利益が減るからである。部品でも儲け
ているからだ。でも最近は、露骨にいやがる業者も少なくなってき
ている。世の中のすう勢だからと、受け入れるようになったのかも
しれない。


ということで、さっそくWポンプをネットで調べだす。あるある通販
で8000円弱であるじゃないか。これなら、全体修理で3万円くら
いで済むぞ・・・・・・・と思った。思って、あーよかった、よかった、と
思ったがつかの間、奈落の底に落されることになる。(ちょっと大
げさか)
(続く)


油圧クーリングファン

この映像は、他のサイトから借りてきた1JZーGTEクラウン用の油圧式Wポンプです。(油圧式の
場合はクーリングファンポンプを兼ねているらしいです。プーリーが1個で同軸上で回すのでしょう。
)車によっては、というか同じ車でも製造時期によって、油圧式Wポンプが使われていると今回は
じめて知りました。通常の機械式ポンプのガチ10倍の値段がします。リビルト、中古ほんとうにな
いです。いやになります。